台湾はどこの国?ほぼ半数が『どこの国でもない』だったけど本当?【クイズ有り】

台湾は現在はどこの国でしょうか?

と言われると、意外に答えられない人が多いです。

台湾は、国際法上・外交上の位置づけについては各国の立場が分かれており、日本も台湾の法的地位を独自に認定する立場にはない、という説明を取り続けています。

「なぜ国連にいないのか」「日本は台湾を国と認めているのか」──このあたりまで踏み込むと、話はとたんに面白くなります。

ネット上の解説記事の多くは「台湾の正式名称は〇〇です」で終わってしまうのですが、実を言うとその等号すら、厳密には成り立ちません。

その理由まで含めて、順番にほどいていきます。

まずはクイズで、自分の理解度を測ってみてください

問題:台湾を統治しているのは、いったいどこなのでしょう

調べる前の自分の答えを覚えておくと、この記事を読み終えたあとの落差が楽しめます。直感で選んでみてください。

問題 台湾とは、どこの国のことでしょうか。

  1. 中華人民共和国の一つの省
  2. イギリスなど複数の国の植民地
  3. 中華民国
  4. 国際連合が特別に認めた、統治国のない地域

 

370人の答えは、きれいに二つへ割れました

10代から30代の370人に同じ質問をしたところ、回答はこんなふうに分布しました。

  • 6.8% 中華人民共和国の一つの省
  • 2.2% イギリスなど複数の国の植民地
  • 43.0% 中華民国
  • 48.1% 国際連合が特別に認めた、統治国のない地域

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下記が、実際のアンケート結果の画面です。

面白いのは、上位二つが43.0%と48.1%でほぼ拮抗したことです。

①と②を選んだ人は合わせて9%しかいませんから、多くの人は「中国などの一部ではなさそうだ」というところまでは正しくたどり着いています。

そのうえで、統治しているのが中華民国だと知っている人と、誰も統治していないと考えている人とが、ちょうど半々に分かれた形になりました。

正解は③の「中華民国」です

台湾を統治しているのは中華民国という政府で、中華人民共和国とは名前が似ているだけの、まったく別の政府です。

国共内戦に敗れた中華民国政府が大陸から台湾へ移り、そのまま今日まで統治を続けている、というのがおおまかな流れになります。

正答率40%というのは、正直に言えば私の予想よりかなり高い数字でした。

ただし「1949年にできた国」ではありません

ここでひとつ、多くの人が取り違えているところを先に潰しておきます。

中華民国が成立したのは1912年で、内戦に敗れてから新しくつくられた国ではありません。

国家としては1912年から一度も途切れておらず、1949年に起きたのは滅亡ではなく、政府機能ごとの引っ越しでした。

この「途切れていない」という一点が、あとで出てくる憲法の話や、国際機関での長ったらしい加盟名にまで全部つながっていきます。

地味な違いに見えて、実はここが台湾問題のいちばん根っこにある部分です。

④が最多を集めた理由はわかりますが、これははっきり誤りです

いちばん多く選ばれた④は、残念ながら事実と違います。

台湾には現に中華民国政府による行政組織があり、司法があり、軍があり、総統も立法委員も選挙で選ばれています。

統治する主体は、明確に存在しています。国連が特別に認めた地域という前提も、後で見るとおり成り立ちません。

「帰属が決まっていない」と「統治する主体がいない」は、まったく別の話です

ここは混同されやすいところなので、先に整理しておきます。

日本政府は「台湾の法的地位について独自に認定する立場にない」という説明を続けていますが、これはどの国の領土なのかを日本が判定しないという意味であって、台湾に統治者がいないという意味ではありません。

領土の帰属という法的な次元と、誰が実際に統治しているかという事実の次元は、切り分けて考える必要があります。

この二つを混ぜてしまうと、④のような理解に着地してしまうわけです。

 

「台湾」と「中華民国」は、実はイコールではありません

多くの解説記事は「台湾=中華民国です」で話を終わらせてしまいますが、地図を細かく見ていくと、この等号はきれいには成立しません。

中華民国が実際に統治している範囲には、台湾島でも澎湖諸島でもない場所が含まれているからです。

中華民国が実効支配している場所には、中国大陸のすぐ沖の島があります

中華民国が現に統治している領域は、台湾島と澎湖諸島に加えて、金門島と馬祖列島を含みます。

この二つは台湾島の近くにあるのではなく、中国大陸の福建省沿岸に張りついた島々で、行政区分としても「福建省」に属しています。

つまり中華民国は、台湾のほかに中国大陸の省の一部を、今この瞬間も統治しているわけです。

金門島からは、対岸の高層ビル群が肉眼で見えます

金門島と中国大陸の厦門(アモイ)は、天気の良い日には対岸のビルの窓まで数えられそうなほど近く、夜になれば大陸側のネオンがはっきり見えます。

かつて激しい砲撃戦の舞台となった場所が、いまでは大陸からの観光客が船で渡ってくる島になっているというのは、なんとも不思議な光景です。

「台湾はどこの国か」という問いを、地図を広げたまま考えていくと、この島の存在ひとつで話がややこしくなります。

台湾=中華民国と言い切ってしまうと、福建省の島に住んでいる人たちの立場が説明できなくなってしまうのです。

だから国際機関での加盟名は、あんなに長いのです

台湾がWTO(世界貿易機関)に加盟したときの正式名称は、「台湾・澎湖・金門及び馬祖独立関税地域」という、およそ日常会話には出てこない長さの名前でした。

国名を名乗れないという事情ももちろんありますが、統治範囲を正確に書こうとすると本当にこうなってしまう、という側面も同時にあります。

一方、オリンピックやAPECでは「チャイニーズタイペイ(中華台北)」という呼び名が使われます。

オリンピックでのこの名称は1981年3月に結ばれたローザンヌ協定に基づくもので、旗も国旗ではなく梅花旗、流れる曲も国歌ではなく国旗歌という徹底ぶりです。

表彰台の風景ひとつとっても、政治的な妥協の痕跡が刻まれています。

そして「台湾省」は、2018年に事実上の機能停止に追い込まれました

ここが個人的にいちばん驚いた事実なのですが、中華民国の行政区分にはもともと「台湾省」と「福建省」という二つの省が存在していました。

ところが1997年から98年にかけての行政改革で省は自治体としての地位を失い、さらに2018年7月1日をもって台湾省政府の全業務と職員が国家発展委員会へ移管されます。

福建省政府の業務も、同年12月末に金馬連合服務中心へ移されました。

あわせて2018年6月、行政院は翌年度(2019年度)から省級機関の予算をゼロにすると決定しています。

よく「2018年に予算がゼロになった」と書かれますが、決定が2018年、予算のゼロ化はその翌年度から、というのが正確なところです。

機関そのものは、いまも法律上は消えていません

ややこしいのは、省が中華民国憲法に定められた機関である以上、憲法改正を経ずに廃止することはできない、という点です。

だから業務も職員も予算も抜かれた状態で、名目上の枠だけが法体系の中に残り続けています。

現在の台湾で行政の主役になっているのは、台北市・新北市・桃園市・台中市・台南市・高雄市という六つの直轄市と、その他の県や市です。

中国側が台湾を「台湾省」と呼び続ける一方で、当の中華民国側では台湾省の役所が閉じられているというのは、皮肉というより歴史のいたずらのように見えます。

 

中華民国は、倒れてはいませんでした

1912年、中国史上初の共和制国家として生まれています

中華民国が建国されたのは1912年の元日で、これは孫文らによる辛亥革命の結果として生まれた、中国史上初の共和制国家でした。

皇帝のいない中国が誕生したというのは、当時の日本から見ても相当な衝撃だったはずです。

第二次世界大戦が終わったとき、中華民国は連合国側の一員であり、国際連合の原加盟国であり、しかも安全保障理事会の常任理事国でもありました。

1971年までは、国連の常任理事国席に座っていたのが中華民国のほうだったというのは、今の感覚からするとなかなか信じにくい話です。

1945年、台湾の統治権が日本の手を離れました

台湾は1895年の下関条約によって清から日本へ割譲され、そこから半世紀にわたって日本の統治下にありました。

日本の敗戦にともなって台湾の統治は中華民国が引き継ぐことになり、1945年10月に台北で式典が行われています。

ここで押さえておきたいのは、この時点ではまだ中華民国の首都は南京にあり、台湾はあくまで新たに加わった一地方だったという点です。

中華民国が台湾へ「移ってくる」のは、この四年後の話になります。

1949年に起きたのは、滅亡ではなく引っ越しでした

国共内戦に敗れた中華民国政府は、1949年の年末に首都機能を台北へ移します。

政府機関も、軍も、故宮の収蔵品までもが海を渡り、その受け皿になったのがたまたま数年前に統治下へ入っていた台湾でした。

もし1945年に台湾の統治権が中華民国に移っていなければ、そもそも逃げ込む先すら存在しなかったわけで、歴史というのは本当に紙一重で転がるものだと思わされます。

そこから台湾では1949年5月から1987年7月まで、実に38年間も戒厳令が敷かれ続けます。

世界史的に見てもかなり長い部類で、この時代の記憶がのちの台湾の政治にも、あとで触れる対日感情にも影を落としていきました。

中華民国の憲法には、今も中国大陸のことが書かれています

中華民国の憲法には、いまだに「国家統一前の必要に応じて」という前提のもとで運用されている条文があり、実効支配している範囲を「自由地区」と呼び分けています。

さらに1992年に定められた両岸人民関係条例では台湾側を「台湾地区」と定義し、中国大陸を「台湾地区以外の中華民国領土」=「大陸地区」と規定しました。

ただし、これはあくまで法体系に残っている枠組みの話です。

現在の台湾政府が北京と同じ調子で「中国全土の正統政府だ」と主張しているわけではありません。歴史的に双方がそう主張し合ってきた時代の名残が、条文の形で残り続けている、と理解するのが実態に近いはずです。

 

では、なぜ多くの国は台湾と正式な国交を結ばないのでしょうか

正式な国交がある相手は、いま12だけです

中華民国と正式な外交関係を持っている相手は、2024年1月にナウルが断交して以降、教皇庁(バチカン)を含めて12にまで減りました。

グアテマラ、パラグアイ、ベリーズ、ハイチ、エスワティニ、パラオ、マーシャル諸島、ツバル、そしてカリブ海の小国が並ぶ顔ぶれで、大国は一つも含まれていません。

理由はシンプルで、歴史的に中華人民共和国と中華民国の双方が「自分こそが中国の正統政府だ」と主張してきたため、両方と同時に国交を結ぶことが原理的にできなかったからです。

中国大陸を実際に統治しているのがどちらかを考えれば、多くの国が北京を選んだのは自然な流れでした。

日本もその一つで、1972年の日中共同声明にともなって中華民国との国交は断たれています。

1971年の国連決議2758号が扱ったのは、中国の代表権でした

ここは誤解が本当に多いところなので、少し丁寧に書きます。

1971年10月に採択された国連総会決議2758号は、国連における中国の代表権をどちらの政府が持つかを中心に扱ったもので、中華人民共和国の代表を国連に迎え入れ、中華民国の代表を追放する内容でした。

そして決議の本文には、台湾の主権帰属についての明示的な規定はありません。

この点をめぐって、中国政府は「2758号が一つの中国の原則を確定させた」と解釈しており、台湾側や一部の国際法学者は「決議は台湾の地位を決定していない」と反論しています。

同じ一本の決議文の読み方が真っ二つに割れているというのが、現在の状況です。

日本の立場は「認めていない」ではなく、もっと微妙です

サンフランシスコ平和条約は、放棄先を書きませんでした

1951年に署名され翌年に発効したサンフランシスコ平和条約の第2条(b)には、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と書かれています。

ここで注目すべきなのは、放棄するとは書いてあるのに、誰に渡すのかがどこにも書かれていないという点です。

普通、土地を手放すときには相手が指定されるものですが、この条約ではそれが空欄のまま残されました。

冷戦のさなか、中華民国と中華人民共和国のどちらを相手に書くかで各国の意見がまとまらなかったことが背景にあります。

その結果、日本政府はこの条約を根拠に「すでに権利を放棄しているのだから、台湾の帰属について発言する立場にない」という説明を、1972年の国会答弁以来ずっと維持しています。

日中共同声明でも、台湾は中国の一部だという中国側の主張について、日本は「十分理解し、尊重する」という表現を使い、「承認する」とは書きませんでした。

外交文書における「理解する」と「承認する」の距離は、一般に思われているよりずっと遠いものです。

だから④は、惜しいのではなく別の話でした

冒頭のクイズで④を選んだ45%の人は、おそらく「日本は台湾をどう扱っていいか決めかねている」という空気を感じ取っていたのだと思います。

その感覚自体は外れていません。

ただ、日本が帰属を判定しないことと、台湾に統治者がいないことは、やはり別の話です。

感覚は当たっていたけれど、着地した答えが違った、というのがこの選択肢の正体でした。

 

国交がないのに、日本と台湾の実務は驚くほど普通に動いています

ここからは、政治の話から少し離れます。

国交がないと聞くと交流が途絶えているように感じますが、実際にはむしろ逆で、日々の実務は「国交がある国とほとんど変わらない」くらいの水準で回っています。

大使館の代わりは、二階建ての構造になっています

ここは混同されやすいので、順番に整理します。

まず一階部分にあたるのが、政府間の実務をつなぐ二つの窓口団体で、日本側が公益財団法人 日本台湾交流協会、台湾側が台湾日本関係協会です。

どちらも1972年の断交と同時に設立されたもので、貿易経済会議などを通じて両者が相手方と向き合っています。

そして二階部分、つまり実際に大使館・領事館の役割を果たしている出先機関は別にあります。

日本にある台湾側の大使館相当機関は台北駐日経済文化代表処です。

このほか横浜・那覇・札幌に分処があり、大阪には台北駐大阪経済文化弁事処、その傘下に福岡分処が置かれています。

台湾にある日本側の窓口は日本台湾交流協会の台北事務所と高雄事務所で、旅券や査証といった領事業務を実際に取り扱っています。

外交関係がないため正式な「大使館」「領事館」という名称ではありませんが、実際に担っている仕事を見ると、通常の外交関係における在外公館にきわめて近い体制になっています。

この体制のもとで、2023年には台湾から日本へ約420万人が訪れ、日本から台湾へも約93万人が渡っています。

台湾に住む日本人はおよそ2万1千人で、これも国交のない相手としては相当な規模と言っていいでしょう。

台湾の運転免許証で、日本の道路を運転できます

意外と知られていないのですが、台湾は国際運転免許証の根拠となるジュネーブ道路交通条約に加盟していません。

ですから本来なら、台湾の免許を持っている方が日本で運転することはできないはずです。ところが実際には、台湾日本関係協会などが作成した日本語の翻訳文を添えれば、台湾の免許証のまま日本の道路を運転できます。

日本の免許で台湾を走る場合も、中国語の翻訳文を用意すれば同じように運転が可能です。

条約が使えないので、条約に頼らない二者間の取り決めで代替してしまった、という実に台湾らしい解決の仕方だと思います。

ただし無条件というわけではなく、日本国内で運転できるのは上陸した日から1年間に限られます。

住民登録がある人がいったん出国し、3か月未満で再入国した場合には、この1年の起算日はリセットされません。

長期滞在するのであれば、外国免許からの切替手続きが必要になります。

在留カードに「台湾」と書けるようになったのは、2012年からでした

日本に住む台湾出身の方の国籍欄には、長いあいだ「中国」と記載されていました。

これが変わったのは2012年に外国人登録制度が在留カードに切り替わったときで、そこでようやく「台湾」という表記が選べるようになっています。

戸籍の記載についても、その後さらに見直しが進みました。

その表記が決まった1964年、日本が国交を持っていたのは中華民国でした

この「中国」表記の根拠になっていたのは、1964年に出された法務省の通達でした。

ここで少し立ち止まっていただきたいのですが、1964年の時点で日本が国交を持っていたのは中華民国のほうです。

それでも書類の上では「中華民国」ではなく、「中国」という包括的な表記が採用されました。

どちらの正式国名を書いても角が立つ状況で、あえて広い言葉に逃がした、というのが実態に近いのだと思います。

そしてその処理が、日中国交正常化を挟んで半世紀近く残り続けました。

役所の書式は一度決まるとなかなか動かないものだ、という一般論で片づけるには、少し重い話だと思います。

通販サイトの国名リストに「Taiwan, Province of China」と出てくる理由

海外のオンラインショップで配送先を選ぼうとして、リストの中に「Taiwan, Province of China」という表記を見つけ、少しぎょっとした経験はないでしょうか。

これは意地悪でも手抜きでもなく、国名コードの国際規格であるISO 3166に台湾がその名称で登録されているためで、多くのウェブサービスは規格をそのまま読み込んで国名リストを作っています。

私たちが普段何気なく使っているシステムの奥にまで、この問題の構造が入り込んでいるという一例です。

 

台湾のパスポートは、静かに「TAIWAN」の文字を大きくしました

2003年、まず英語で TAIWAN が加わりました

中華民国のパスポートの表紙には、もともと「中華民国」と「REPUBLIC OF CHINA」としか書かれていませんでした。

ところがこの表記だと海外の空港で中華人民共和国のパスポートと取り違えられることが多く、実務上の不便が絶えなかったため、2003年に英語で「TAIWAN」の文字が加えられます。

中国語では加えられず英語表記のみという点に、当時の政治的な配慮が透けて見えます。

2021年の大幅な変更のきっかけは、コロナでした

そして2020年9月、台湾の外交部は新しいパスポートのデザインを発表しました。

「TAIWAN」の文字が大きく前面に出され、「REPUBLIC OF CHINA」は国章を囲む小さなリング状の文字に格下げされるという、かなり思い切った変更です。

理由として説明されたのは、新型コロナウイルスの流行時に台湾の人が欧米で中国人と間違われ、感染源から来た人として差別的な扱いを受けるケースが相次いだことでした。

国際政治の大きな理屈ではなく、空港で足止めされた人たちの実感からパスポートのデザインが変わったというのは、なんとも生々しい話です。

 

台湾が親日と言われる理由も、少し複雑です

台湾に親日の方が多い理由として、日本統治時代のインフラ整備がよく挙げられます。

烏山頭ダムを設計した八田與一の名前が今も語られているのは事実です。

ただ、インフラを整備した旧宗主国が現地でまったく慕われていない例など世界には山ほどありますから、この説明だけでは座りが悪くなります。

「犬去りて豚来たる」という、身も蓋もない言葉があります

戦後の台湾には「狗去豬來(犬去りて豚来たる)」という言い回しが広まりました。

犬とはうるさいけれど番はする日本人のことで、豚とは食べるばかりで役に立たない、大陸から来た統治者を指します。

日本人のことも犬と呼んでいるあたりに、当時の台湾の人々の突き放した視線がよく出ています。

1947年の二二八事件と、その後に始まる長い戒厳令の時代を通じて、「あの頃のほうがまだましだった」という相対的な評価が生まれていったことは否定できません。

この話をすると気を悪くされる方もいるのですが、私はむしろ逆に受け止めています。

無条件の好意ではなく、比較と検証を経て残った評価なのだとすれば、それは表面的な好感よりよほど頑丈なものだからです。

二度の地震と、東京ドームでの一礼

1999年9月21日に台湾中部を襲った集集大地震では二千人を超える犠牲者が出ましたが、このとき日本が国際緊急援助隊をいち早く送り込んだ記憶は台湾で長く語り継がれ、2011年の東日本大震災では逆に、台湾から日本へ約253億円という規模の義援金が届きました。

人口2,300万人あまりの社会からこの額が集まったという事実は、単なる同情では説明がつきません。

2013年3月8日、東京ドームで行われたワールド・ベースボール・クラシック第2ラウンドの日本対台湾戦は、延長十回に日本が4対3で振り切る大接戦でした。

敗れた台湾の選手たちはマウンドの周りに整列し、スタンドに向かって深々と一礼して球場を去っていきます。

日本側のスタンドには「謝謝台湾」の文字が掲げられ、外交文書には絶対に書けないものが一瞬で伝わった場面でした。

 

「自分は台湾人だ」と答える人が、増え続けています

1992年に「中国人」と答えた人は、25.5%でした

台湾の国立政治大学選挙研究センターは、1992年から一貫して同じ質問で人々の自己認識を追いかけています。

「あなたは台湾人ですか、中国人ですか、それとも両方ですか」という、実にシンプルな設問です。

調査が始まった1992年、自分を「中国人」だと答えた人は25.5%いました。

それが2026年6月にはわずか2.5%まで低下しています。一方、「台湾人」は63.1%、「台湾人でも中国人でもある」は30.7%でした。

報道で内訳まで確認できる直近の数字は2025年6月時点のもので、台湾人62.9%、両方30.5%、中国人2.3%でした。

同センターはこの時系列を2026年6月分まで更新していますので、最新値を引かれる場合は公式サイトのグラフをご確認ください。

数字が語っているのは、政治というより世代交代かもしれません

三十年余りで社会の自己認識がここまで動き、しかも一度も反転していません。

この変化を政治的な扇動の結果だと説明する見方もありますが、私にはもう少し静かな現象に見えます。大陸で生まれ育った世代が高齢化していき、台湾で生まれ台湾で教育を受けた世代が多数派になっていく、その自然な入れ替わりが数字に出ている側面が大きいはずです。

「台湾はどこの国か」という問いに対して、そこに住む人たち自身の答えがこう動いてきたという事実は、条約や決議の文言と同じくらい重い意味を持っています。

国際法の議論とは別の次元で、答えはすでに出つつあるのかもしれません。

 

まとめ:台湾はどこの国かと聞かれたら

一行で答えるなら

台湾は中華人民共和国政府の統治下にはなく、中華民国政府が実効統治しています。

中華民国は1912年に成立し、1949年に大陸から台湾へ移って、以来そこで統治を続けている政府です。

もう一歩踏み込んで答えるなら

中華民国は台湾島だけでなく中国大陸沿岸の金門島や馬祖列島も統治しているため、「台湾=中華民国」という等号は厳密には成り立ちません。

正式な国交を持つ相手は12にとどまり、日本を含む多くの国は国家として承認していないものの、その法的地位については各国の立場が分かれており、日本は独自に認定する立場にないという説明を取り続けています。

それでいて免許証も、在留カードも、年間五百万人を超える往来も、現実にはきちんと機能している。この「建前と実務のねじれ」こそが、台湾という場所を理解する鍵なのだと思います。

次に台湾へ行かれるときは、パスポートの表紙の「TAIWAN」の文字の大きさにも目を向けてみてください。あの一行にも、ここまで書いてきた歴史が全部詰まっています。

 

また、当サイトでは、さまざまな地理や歴史の疑問をまとめています。ぜひこちらもチェックして下さいね。

 

■参考にした主な資料

  • 外務省「台湾基礎データ」
  • サンフランシスコ平和条約第2条(b)、日中共同声明(1972年)
  • 国連総会決議2758号(1971年10月25日)
  • 台湾地区と大陸地区人民関係条例 第2条
  • 国立政治大学選挙研究センター「臺灣民眾臺灣人/中國人認同趨勢分佈」(1992年6月〜2026年6月)
  • 台北駐日経済文化代表処/日本台湾交流協会 各公式サイト
  • 警察庁「外国の運転免許をお持ちの方」/各都道府県警察の外国免許案内
  • 中華民国外交部によるパスポート新デザイン発表(2020年9月2日)

※記載した数値や制度は執筆時点(2026年8月)のものです。国交の状況や統計は変動しますので、正確な最新情報は外務省および日本台湾交流協会の公式発表をご確認ください。台湾の法的地位については各国・各当事者の立場が異なり、本記事は特定の立場を主張するものではありません。