クリスマスは25日なのに、なぜ24日の夜が盛り上がるの? 5つの理由

毎年12月になると、どこかのタイミングでこの疑問がふっと頭をよぎります。

クリスマスは25日のはずなのに、街がいちばん華やぐのも、ケーキが売り切れるのも、レストランの予約が取れなくなるのも、なぜか前日の24日なのです。

25日の夜に恋人と待ち合わせた記憶がある人は、たぶんそう多くないでしょう。

この疑問を検索すると、たいていは「イブは当日の夜という意味だから」「ユダヤ暦では日没から一日が始まるから」という答えにたどり着きます。

今回この記事を書くにあたって典礼の規則まで下りて確かめてみたところ、この説明は暦の話としておおむね正しく、しかも多くの強い裏づけがありました。

その一次資料は後ほど引きます。

ただ、それだけでは肝心のことが説明できません。

日本人のほとんどは教会の暦など知らないまま24日に盛り上がっているわけですから、宗教的な理屈が現代日本の消費行動を動かしているとは考えにくいのです。

そこでこの記事では、まず定番の説明をどこまで裏づけられるのかを確かめたうえで、言語・民俗・メディア史・カレンダー・流通という角度から「24日偏重」を分解していきます。

結論を先に言ってしまうと、24日が盛り上がる理由はひとつではなく、まったく出自の違う理由が五本くらい束になって同じ方向を向いてしまった、というのが実態です。

第一の理由:24日の夜は、いまも制度としてクリスマスである

「日没から一日が始まる」は、遠い昔話ではない

まず、いちばんよく見かける説明を確かめておきましょう。

「クリスマスは12月24日の日没から始まる。

キリスト教の母体であるユダヤ教では、日没から日没までを一日と数えていたからだ」というあの話で、確かにそのとおりです。

創世記に「夕があり、朝があった」と繰り返し記されるとおり、一日は暗いところから始まって明るくなっていくものと捉えられていました。

そしてこの感覚は、キリスト教の祭日の祝い方にそのまま引き継がれています。

つまり、図で表すとこのようになります。

時間 ユダヤ暦の場合
(日没起点)
一般暦・カトリック典礼
(0時起点)
14:00 12月24日
12月24日
クリスマスの祝いは始まる

15:00
16:00
17:00
18:00頃※
日没の目安
12月25日
日没から次の日が始まる
19:00
20:00
21:00
22:00
23:00  
0:00
12月25日
クリスマスの祝いが続く

1:00
2:00
3:00

※ユダヤ暦には独自の月日があるため、厳密には「12月24日・25日」という表記ではありません。この図では、現代の一般的なカレンダー上の12月24日・25日に対応させて示しています。

※ユダヤ暦では一日の区切りは18時固定ではなく、実際には日没です。図では時間の流れを分かりやすくするため、18時頃を目安として示しています。

※カトリック典礼では、祭日の祝いは前日の夕方から始まります。「前日の夕方」と天文学的な日没は、必ずしも同一時刻ではありません。

現行の規則に、はっきり書かれている

ここで私が面白いと思ったのは、これが「昔はそうだった」で終わる話ではないことです。

カトリック教会がいま用いている『典礼暦年に関する一般規範』の第3項には、こうあります。

典礼日は真夜中から真夜中までである。ただし、主日および祭日の祝いは、前日の夕方からすでに始まる。

さらに第11項は、祭日(ソレムニタス)について「その祝いは前日の第一晩の祈りをもって始まる」と定め、祭日によっては前日の夕方に行う独自の前夜のミサを持つ、としています。

つまり、クリスマスは24日の夕方に始まっている

主の降誕はこの祭日にあたり、しかも前夜のミサを持つ祭日です。

ですからクリスマスの祝いは、慣習としてではなく、現に生きている規則として、12月24日の夕方から始まります。

バチカンでも24日の夜に「主の降誕」のミサが行われ、明けて25日の日中にあらためて日中のミサが行われる、という二段構えになっています。

「24日に盛り上がるのは邪道で、25日こそが本番」という前提には、したがって根拠がありません。

24日の夜に食卓を囲むことは、キリスト教の暦から見てまったく正当な振る舞いです。

もっとも25日の日中のミサも当然に正式な降誕祭ですから、24日の夜だけが唯一の正解というわけでもありません。

ただし「eve=夕方」という語の説明のほうは、少しだけ注意がいる

一方、しばしばセットで語られる「イブ(eve)は前日ではなく当日の夜という意味だ」という言語の話は、そのまま鵜呑みにすると少しずれます。

ここは分けて考えたほうがすっきりします。

語源については、たしかにそのとおりです。

古英語で夕方を指す「ǣfen」が中英語で「even」となり、語尾が削れて「eve」になりました。

「evening」と同じ根っこを持つ言葉ですから、出自をたどれば「夕方」で間違いありません。

現代英語のeveは、ふつうに「前日」を指す

ただ、現代英語の辞書を引くと、eveの第一の語義は「ある出来事、とくに宗教的な祭日や祝日の前日または夕方」で、その用例としてChristmas Eve=12月24日、New Year’s Eve=12月31日が並んでいます(オックスフォード)。

「夕方」という意味のほうは、古い用法・文学的な用法として第二義に置かれています。

つまり、語源としては「夕方」でありながら、現代の英語話者にとってのeveは「前の日」でもある。「イブ=当日の夜」と言い切ってしまうと、語源の話と現代語の意味が混ざります。

二つの話は、対立していない

ここが大事なところなのですが、この二つは矛盾しません。

言葉としてのeveは「前日」を指し、暦としてはその前日の夕方からもう祭日が始まっている。どちらも同時に成り立ちます。

だから「24日はクリスマス・イブという前日でありながら、同時にもうクリスマスでもある」という、少しややこしい二重性が生まれるわけです。

日本人が「イブ」を前の日の意味で使いながら、その夜に本気で祝っているのは、実はこの二重性をそのまま体現していることになります。

「イブイブ」は、意外と筋が通っている

ちなみに、日本で当たり前に使われている「イブイブ」。

eveを「夕方」と取れば「夕方の夕方」で意味をなしませんが、「前日」の意味で取れば「前日の前日」となり、組み立てとしては一応の筋が通ります。

英語圏にこう言う習慣はないので、実際に言っても通じませんが。

それでも私は、この表現をただの誤用として切り捨てる気にはなれません。

日本人が「イブ」を「前の日」という日本語として消化し、しかも「前の日こそめでたい」という感覚をあらかじめ持っていたからこそ生まれた造語だと思うからです。

この点には後半でもう一度戻ってきます。

そして本題はここからです。

宗教的な建て付けは、24日の夜でも25日でもよい、と言っている。ではなぜ日本社会は、その「どちらでもよい」を一方向へ極端に振り切ってしまったのでしょうか。

第二の理由:「欧米では25日が本番」という前提が、そもそも怪しい

ドイツ人にとってのクリスマスは12月24日の夜

日本のクリスマス記事でよく見かけるのが、「欧米では家族と25日に過ごすのに、日本だけ24日に恋人と過ごす特殊な国だ」という書き方です。

この一文、私は昔からどうも引っかかっていました。少なくともドイツに関しては、事実と違うからです。

ドイツでクリスマスの中心はハイリヒアーベント(Heiligabend)、すなわち12月24日の夜です。

この日は昼過ぎには店がどんどん閉まり、街から人が消え、家族がツリーの前に集まって、そこでプレゼントを開けます。

ツリーを飾るのすら23日や24日という家庭も珍しくなく、ぎりぎりまで取っておく感覚があるようです。

25日と26日は祝日、それでも山場は24日の夜

では25日はどうかというと、ドイツでは25日も26日も第一・第二クリスマス祝日と呼ばれる法定の祝日で、親戚を訪ねたりのんびり過ごしたりしながら、クリスマスの祝いは数日かけて続いていきます。

一方、24日そのものは全国一律の法定祝日ではなく、多くの職場や店が午後から早じまいするという慣行によって、実質的な休みに近い日になっているというのが実情です。

つまり、法定の祝日は25日と26日にあるのに、家庭での祝いのいちばんの山場は、祝日ですらない24日の夜に置かれている。

この構図を知ってしまうと、「24日が本番」という感覚は特殊でも何でもないことがわかってきます。

ポーランド、北欧、イタリアも「24日の夜」

同じことは他の国にも言えます。

ポーランドのヴィギリア(Wigilia)は24日の夕食で、その日最初の星が見えたら食卓につき、肉を避けた十二皿の料理を囲むという、非常に手のこんだ行事です。

北欧のスウェーデンやノルウェー、デンマークでも、ユールの中心は24日の晩にあります。

イタリア系アメリカ人の家庭には「七つの魚のごちそう」と呼ばれる24日夜の食卓の伝統があります(これは南イタリア由来の要素を持ちながらも、イタリア本国ではあまり知られていない、アメリカで育った習慣です)。

「25日の朝」型はむしろ英米圏のスタイル

25日の朝に子どもが枕元の靴下を確かめる、あの絵に描いたようなクリスマスは、実はイギリスやアメリカを中心とした英語圏のスタイルです。

日本がクリスマスの意匠を輸入したとき、サンタクロースやツリーは主に英米経由で入ってきたのに、実際の祝い方は結果的に大陸ヨーロッパ型に近くなった、という奇妙なねじれが起きています。

このねじれは日本人の勘違いから生まれたものではなく、後述するように、日本側にもともと「宵に祝う」という受け皿があったからだと私は考えています。

ここが、この記事でいちばん書きたかったところです。

第三の理由:日本には「前の日の夜が本番」という土着の作法があった

宵宮は、ただの「前夜祭」ではなかった

神社の祭りに行ったことがある人なら、感覚としてわかるはずです。

屋台がずらりと並び、人が最も集まって、いちばん祭りらしいのは、たいてい本祭の前日の夜、いわゆる宵宮や宵祭りです。

翌日の本祭は神事が粛々と行われ、意外と静かだった、という経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

これは単に「前日の夜は暇だから」という話ではありません。

民俗学的には、神を迎える中心の儀礼はむしろ宵の側にあり、本祭はその後の祝賀にあたるという見方がされています。

祭りは夕方から始まるもの、という言葉どおりの構造です。

日本の一日も、かつては日没から始まっていた

そして重要なのは、日本の伝統的な時間感覚でも一日は夜から始まると考えられていたことで、神事が夜に行われるのが標準だったのも、この感覚と地続きです。

つまり、ユダヤ暦から教会暦へと受け継がれた「日没から祝い始める」という発想と、日本の宵宮の発想は、まったく別の場所で生まれながら同じ形をしていました。

私はこの偶然の一致が、日本のクリスマスイブ文化を理解するうえでの最大の鍵だと思っています。

大晦日、除夜、節分、通夜──日本語に埋まっている「前の日」の重さ

この感覚は、祭りだけの話ではありません。

日本語をよく見ると、「前の日の夜」がやたらと重い言葉ばかりが並んでいます。

  • 年越しの夜である大晦日と除夜。
  • 立春の前日である節分。
  • 葬儀の前夜である通夜。

どれも「前日」でありながら、翌日の本番より濃い時間として扱われています。

節分の豆まきをする人は多くても、立春当日に何かをする人はほとんどいません。

この非対称は、そのままクリスマスイブと25日の関係に重なります。

年取りの膳は、12月31日の夜に食べる

決定的なのが「年取り」です。

かつての日本では、新しい年を迎える祝いの膳は元日の朝ではなく、大晦日の夜に食べるものでした。

一日が日没から始まるなら、大晦日の日が暮れた時点でもう新年が始まっている、という理屈です。

地域によっては今も、大晦日の夜にごちそうを囲む習慣が残っています。

これはもう、構造としてクリスマスイブとまったく同じです。

ここから先は、史料に直接そう書かれているわけではなく、以上の共通点から私なりに考えた仮説として読んでいただければと思います。

日本人は輸入品としてクリスマスイブをそのまま受け取ったのではなく、すでに手元にあった「年取り」や「宵宮」の枠にクリスマスを流し込んだのではないか、というのが私の見立てです。

「翻訳」されたからこそ、違和感なく定着した

新しい風習が定着するかどうかは、それが既存の生活リズムに翻訳できるかどうかで決まります。

クリスマスが日本にこれほど深く根づいたのは、キリスト教が広まったからではまったくなく、「冬の、夜の、前日にごちそうを食べる祝い」という形が、もともとの日本の作法とぴったり噛み合ったからでしょう。

そう考えると、「イブイブ」という言葉が違和感なく生まれたことにも腑に落ちるものがあります。

前の日は特別、という感覚が先にあり、そこに「イブ」という便利な語がはまっただけなのです。

第四の理由:昭和の終わりに、24日が「恋人の日」として上書きされた

1983年の一曲と、1988年のCMが決めた

ここまでは古い話でしたが、いまの24日の姿を作ったのは、圧倒的に1980年代のメディアです。

象徴的なのが山下達郎の「クリスマス・イブ」で、発売は1983年12月14日、しかも当初のオリコン最高位は44位という、決してヒットとは言えない滑り出しでした。

この曲の運命を変えたのが、1988年からのJR東海のCMです。

遠距離恋愛の恋人が駅で再会するあの映像に乗って一気に浸透し、1989年12月にはついに週間1位を獲得します。

発売から6年を経ての首位獲得で、その後もクリスマス期のチャートに毎年帰ってくる曲となり、2025年には40年連続でオリコン週間シングルランキングのTOP100入りを果たして、ギネス世界記録にも改めて認定されました。

ちょっと現実離れした記録です。

「24日の夜に、誰かと会う」という台本が配られた

私がここで注目したいのは、曲そのものより、CMが提示した行動の台本です。

あの一連のCMは、「クリスマスイブの夜に、大切な人と会うために移動する」という具体的な行為を、日本中に映像で刷り込みました。

祝日でも宗教行事でもない日に、これだけ明確な「やること」が与えられた例は、そう多くありません。

バレンタインのチョコレートと同じで、行動が具体的であればあるほど、習慣は速く定着します。

雑誌とホテルとバブルが加速させた

同じ時期、女性誌はクリスマスの過ごし方を繰り返し特集し、高級ホテルはイブのディナーと宿泊をセットにしたプランを売り出しました。バブル期の景気も手伝って、24日の夜は「予約して、着飾って、出かける日」という型に固定されます。

恋人と過ごす夜が24日に確定した以上、翌日が消化試合になるのは当然でした。

意外と語られない補助線──12月23日が祝日だった30年間

そしてここが、他ではあまり指摘されていない点だと思うのですが、1989年から2018年までの30年間、12月23日は天皇誕生日という国民の祝日でした。

平成の30年間、まるごとです。

実際に曜日を数えてみると、これがなかなか面白いことになります。

この30年のうち、12月24日が土曜または日曜だった年に加えて、23日が日曜だったために24日が振替休日になった年を合わせると、合計で14回。

つまり半分近い年で、イブそのものが休みの日でした。

断言はできないけれど、無視もしにくい追い風

もちろん、23日が祝日だったから24日偏重が生まれた、と因果関係まで言い切ることはできません。

24日が土日に当たる確率は、23日が祝日かどうかとは関係なく存在するからです。

それでも、恋人と24日に出かけるという文化が定着していった平成という時期に、その前日が国民の祝日で、しかも数年に一度は連休が生まれていたという条件は、追い風として無視しにくいと思います。

習慣が根づくかどうかは、最初の何年かで実際にやりやすかったかどうかにかなり左右されるものです。

祝日は消えたのに、習慣だけが残った

2019年以降、12月23日は祝日ではなくなりました。

ところが、24日偏重はまったく揺らいでいません。習慣というのは、それを支えていた条件が消えたあとも動き続けるもので、いまの24日偏重には、すでに存在しない祝日の影がうっすら残っていると考えると、少し面白くなります。

第五の理由:25日が「余韻」になれない、日本のカレンダー事情

12月25日は祝日ではなく、しかもすぐに正月が来る

ドイツでは25日と26日が祝日で、イギリスにはボクシングデーがあり、クリスマスは数日かけて着地していきます。

ところが日本では、12月25日も26日も国民の祝日ではありません。

年によって曜日の巡り合わせはあるにせよ、制度としてクリスマスに与えられた休みは一日もないわけです。

しかもここから先には、途方もなく大きな行事が控えています。正月です。

これは日本のクリスマスを考えるうえで、かなり効いている条件だと思います。

多くの国でクリスマスは年末最大の行事として、そのまま年越しへとゆるやかに続いていきますが、日本ではクリスマスは正月という横綱の前座であり、しかも本番までの支度期間が数日しかありません。

正月飾りには「28日まで」という目安がある

正月飾りは29日だと「二重苦」に通じるとして避けられ、31日は「一夜飾り」で失礼にあたるとされるため、実質的に28日までに飾るのが望ましいとされています。

つまり日本の年末には、12月28日という大きな目安が置かれているわけです。

25日の夜にクリスマスをやっている暇は、社会全体としてほとんどありません。

実際、百貨店や商業施設では25日の夜のうちにクリスマス装飾の解体が始まり、翌朝には正月商戦の売り場に切り替わっていきます。

あの切り替えの速さを一度でも見てしまうと、25日が「余韻の日」になれない理由が体感としてわかります。

ケーキとチキンの商戦は、24日を軸にしつつ数日に散らばっている

供給側の事情も見ておきましょう。

ここは「企業がすべてを24日に集中させているからだ」と書いてしまいたくなるところなのですが、実際のデータを調べるともう少し込み入っていて、そしてそのほうが面白い話になりました。

まず規模から確認しておくと、ケンタッキーフライドチキンではクリスマス前後のごく数日間で数十億円規模の売上が立ち、2018年には12月21日から25日の5日間で69億円という当時の過去最高を記録しています。

企業はむしろ、山を崩そうとしている

ただ、企業の側は需要を24日の一点に集中させたいわけではありません。

集中されすぎると店がさばききれないので、むしろ必死に分散させようとしています。

KFCの2025年の商戦では受取期間が12月19日から25日までの7日間に設定され、ネットオーダー限定で「オフピーク予約」という仕組みが初めて導入されました。

対象は19日から23日の全日と、24日・25日の13時より前および20時以降です。

裏を返せば、企業が実務上のピークとみなしているのは24日と25日の13時から20時であって、24日だけに山を一本化しているわけではないのです。

不二家のデータが示す、もう少し正確な現実

さらに面白いのがケーキのほうです。不二家が2025年12月1日時点の予約状況として公表した受取日ランキングは、1位が12月20日(土)、2位が24日(水)、3位が21日(日)、4位が25日(木)、5位が22日(月)、6位が23日(火)という並びでした。

つまりその年にいちばん選ばれた受取日は、イブでも当日でもなく、直前の土曜日だったのです。

「クリスマスケーキは24日にいちばん売れる」という思い込みは、少なくとも予約という行動に関しては正確ではありませんでした。

私もこの順位を見たときは、正直なところ少し戸惑いました。

それでも、平日の中では24日が突出している

ただ、この並びをもう一度よく見てください。

上位に来た20日と21日は、どちらも土日です。曜日という強力な条件を取り除いて、平日の四日間、つまり22日・23日・24日・25日だけで比べると、24日が明確な一位で、しかも25日を上回っています。

ここに、この記事のテーマがきれいに現れていると思います。

24日は万能ではなく、週末の引力には勝てません。

それでも、同じ平日同士で並べれば24日が選ばれ、翌日の25日はその後ろにつきます。

「24日絶対主義」ではないけれど、曜日の条件を差し引けば24日の優位は揺るがない、というのが2025年時点の現実のようです。

25日夕方の値引きワゴンが証明していること

そしてもうひとつ、毎年のように見かけるおなじみの光景があります。

25日の夕方にスーパーの一角へ出現する、あの値引きシールの貼られたケーキの山を見たことありませんか?

あれは「25日の夕方を過ぎれば需要が消える」という前提で仕入れが組まれていることの、これ以上ないくらい正直な証拠と言っても過言ではないと思っています。

私は毎年あれを見るたびに、少し切ない気持ちになりつつ、しっかり半額のケーキを買って帰ります!

25日を「クリスマスの日」ではなく「クリスマスが終わっていく日」として扱う社会の合意が、値札に数字として表示されているわけです。

データで確かめる:いまも24日は勝っているのか

62パーセント対17パーセント

ここまで理屈を積み重ねてきましたが、実際の数字も見ておきましょう。

2025年にファミリーマートが行った調査では、クリスマスディナーやクリスマスケーキを食べる予定がある人に「いつ食べる予定か」を尋ねたところ、12月24日が62パーセント、25日が17パーセントという結果が出ています。

調査対象は男女1,124名で、そのうち食べる予定があると答えたのは49パーセント、この設問に答えたのは551名という内訳です。

注目したいのは、その年の24日が水曜、25日が木曜と、どちらも平日だったことです。

平日同士の勝負でここまで差がつくのですから、24日偏重は「たまたま曜日がよかった」という話ではありません。

その日を選ぶ理由として最も多かったのが「イブや当日であることが大事だから」だったという点も、日付そのものに意味が宿っていることを示しています。

「食べる日」と「買う日」は、きれいには一致しない

ただし、先ほどの不二家のケーキ予約と並べると、この二つの数字は少しねじれています。

食べる予定の日を訊けば24日が圧倒的なのに、ケーキを受け取る日で見ると土曜の20日が一位になる。おそらく、買い物という面倒な作業は週末に片づけつつ、実際に食卓を囲む夜は24日に取っておく、という人がそれなりにいるということなのでしょう。

日本の年中行事の多くは、週末に寄せられがちです。

花見も運動会も忘年会も、たいてい直近の土日に移動します。

ところがクリスマスイブに関しては、準備こそ週末に前倒ししても、祝う夜そのものは平日だろうと翌日が仕事だろうと24日に据えられている。

この粘り強さは、かなり特異な性質だと言っていいと思います。

理由はおそらく、24日という日付が持つ記号性が強すぎるからでしょう。

「24日にやらないと意味がない」という感覚が、利便性を押しのけているわけです。

とはいえ、地殻変動も始まっている

ただし、これが未来永劫続くとは限りません。近年の調査では、クリスマスに特に予定を入れない人の割合が半数を超えたという結果も出ており、市場規模の縮小も指摘されています。

恋人と過ごす夜という昭和末期の台本自体が、静かに効力を失いつつあるのは間違いありません。

その代わりに増えているのが、自宅で家族と過ごす形や、ひとりで好きなものを食べる形、あるいは平日の負担を避けて直前の週末に前倒しする形です。

皮肉なことに、家族で過ごすという方向にシフトしているという意味では、日本のクリスマスは今になって欧米の姿へ近づいているのかもしれません。

台本が薄れると、いちばん古い層が残る

面白いのは、恋人と過ごす日という後付けの意味づけが薄れても、24日の優位そのものは残っていることです。

1980年代のメディアが作った層が剥がれ落ちても、その下から「宵に祝う」という古い感覚が顔を出すだけなので、日付は動かないのでしょう。

つまり24日偏重を支えている本体は、昭和のマーケティングではなく、その下にあったもっと古い時間感覚のほうだったのかもしれません。

まとめ:24日が盛り上がるのは、理由が五本まとまってしまったから

改めて整理しておきます。クリスマスイブが盛り上がる理由は、ひとつではありませんでした。

第一に、カトリックの現行の典礼規則そのものが「主日と祭日の祝いは前日の夕方からすでに始まる」と定めており、祭日である主の降誕は12月24日の夕方からもうクリスマスです。

第二に、24日の夜を山場とする祝い方はドイツやポーランド、北欧などにも広く見られ、日本だけの奇習ではありません。

第三に、日本にはもともと宵宮や年取りに代表される「前日の夜が本番」という時間感覚があり、クリスマスイブはそこへ翻訳されて定着したのではないでしょうか。

第四に、1980年代のヒット曲とCMが「24日の夜に大切な人と会う」という具体的な台本を配り、しかも平成の30年間は12月23日が祝日で、うち14回はイブが休日そのものでした。

第五に、25日は日本では祝日ではなく、正月の支度に押されて余韻を持つ余裕がないうえ、実際の予約データを見ても、週末には及ばないものの平日の中では24日が突出しています。

宗教と民俗とメディアと流通、まったく系統の違う五つの力が、たまたま同じ日を指してしまった、、、その重なりの厚さが、あの24日の異様な熱気の正体なのかもしれません。

それで、今年はどちらで祝いますか

こうして分解してみると、「24日でいいのか、25日が正しいのか」という問いは、あまり意味を持たなくなります。

キリスト教の伝統から見ても24日の夜に祝うことは不自然ではありませんし、日本の宵宮の感覚とも噛み合っていて、そのうえ社会のインフラが全部24日に合わせて動いているのですから、迷う理由がないわけです。

もちろん25日の日中も正真正銘のクリスマスですから、そちらを選んでも何ひとつ間違ってはいません。

そのうえで個人的におすすめしたいのは、24日の夜に本番をやりつつ、25日は半額になったケーキを買って、静かに余韻をやることです。

ドイツでも25日と26日はゆるやかに祝いが続くことを思えば、これは案外、由緒正しい過ごし方なのかもしれません。