なぜローマ字の「つ」は「tu」じゃなく「tsu」なの?「ち」がchi、「し」がshiになる理由も解説

富士通のロゴを英語で見たことはありますか。

「Fujitsu」と書かれています。

よく見ると、ちょっと不思議な綴りです。

「ふ」なのに fu、「つ」なのに tsu。もし五十音の並びどおりに機械的にアルファベットへ置き換えるなら「Huzitu」になってもおかしくないはずなのに、実際はそうなっていません。

三菱は Mitsubishi、蔦屋は Tsutaya、松下は Matsushita。

どれも「つ」の部分が tsu になっていて、し・ち・つの並びには何か共通のルールがありそうだと気づきます。

筆者はこの記事を書くまで、単に見た目のバランスがいいからそうなっているのだろうと思っていたのですが、調べてみると、そこには150年以上前にひとりの外国人が作った辞書と、つい最近まで動いていた国の制度改正までさかのぼる、はっきりとした理由がありました。

この記事では、「つ」「ち」「し」がなぜ tsu・chi・shi になるのかを、発音の仕組みと歴史的な経緯の両方から掘り下げていきます。

最後に触れますが、実はこの話、2025年12月に大きな決着がので、ご存じの方もいるかと思います!

まず結論だけ先に言うと

「つ」がtsu、「ち」がchi、「し」がshiになるのは、英語話者が読んだときにできるだけ実際の日本語の発音に近づくよう整えられた「ヘボン式」という表記のならわしに沿っているからです。

これに対して、日本語の五十音との対応をきれいに揃えることを優先した「訓令式」「日本式」という表記もあり、そちらでは tu・ti・si と書かれます。

長らく小学校の国語で教えられてきたのはこちらの方式でした。つまり正解はひとつではなく、「発音の伝わりやすさを取るか、かなとの規則性を取るか」という、そもそもの目的が違う2つの流儀が存在していた、ということです。

ここで「いた」と過去形にしたのには理由があるのですが、それは記事の後半で説明します。

発音そのものが「行」によってバラバラという事実

日本語では「た行」「さ行」とひとまとめに呼びますが、実はこの5つの音は子音がすべて同じというわけではありません。

た行の中に紛れ込んだ異分子

た・て・と は比較的まっすぐな t の音ですが、ち・つ になると口の使い方が変わります。

「ち」はた行のつもりで発音しても途中でやわらかく変化した音になり、ti と書いてしまうと英語話者は「ティ」と読みがちですが、日本語の「ち」はそれとは違う、少しこもったような音です。

「つ」はさらにはっきりしていて、t の音だけでなく s に近い摩擦の要素が混ざっています。

実際に自分で「つ」と発音してみると、「た」「て」「と」のようにストレートに始まっていないことに気づくはずで、感覚としては t + s + u に近く、これが tu ではなく tsu と書かれる理由です。

さ行にもひとつだけ異端児がいる

さ・す・せ・そ は素直な s 系の音がそろっていますが、「し」だけ口の形と息の抜け方が違います。

si と書くと「スィ」に近い音を想像されがちですが、日本語の「し」はそこからずれた音で、その違いを表そうとすると shi と書くほうが実際の発音に近く伝わりやすくなります。

つまり「ち」「つ」「し」だけが特別扱いされているわけではなく、日本語の音そのものがもともと均質ではないというのが出発点で、ヘボン式は、こうした発音の違いを綴りにも反映させようとした表記の考え方なのです。

英語話者に聞くと、意外な音として扱われている

余談ですが、英語を母語とする人に「つ」の発音をしてもらうと、かなり苦労することが多いようです。

英語には語頭に ts の音で始まる単語がほとんどなく(tsunami のような日本語由来の外来語くらいです)、tsu という綴りを見ても頭の中でうまく一音節にまとめられない人が少なくありません。

裏を返せば、tsu という綴りは英語話者にとって発音しやすい形というより、なんとか近い音を出せるぎりぎりの妥協点として選ばれた綴りなのかもしれない、と個人的には感じています。

「新橋」がShimbashiと書かれている理由も、実は同じ発想です

駅名でよく見かける不思議な表記もあります。

新橋駅のローマ字は「Shinbashi」ではなく「Shimbashi」で、「ん」なのに m になっているのも一見不規則に見えますが、根っこの理由は「つ」がtsuになるのとまったく同じです。

b・m・p の前に来る「ん」は、実際に発音すると口の形がすでに m の音に近づいていて、「新橋」を早口で言ってみると「シンバシ」というより「シムバシ」に近い音になっているのがわかります。

かなの形をなぞるのではなく、耳で聞こえる音のほうを綴りに反映させる、という姿勢が「つ」にも「ん」にも一貫しています。

この表記が形になっていったのは、ひとりの外国人宣教師の辞書からでした

ここからが、意外と知られていない話です。

「ヘボン式」という名前の由来は、幕末に来日したアメリカ人宣教師で医師でもあった、ジェームス・カーティス・ヘボンです。

彼は横浜で医療活動をするかたわら日本語を熱心に学び、1867年、日本で最初の本格的な和英辞典『和英語林集成』を完成させました。

この辞書を作るために横浜から上海まで印刷技術を求めて渡航しなければならなかった、

というのも面白いところで、当時の日本にはまだ、辞書を刷れるだけの活版印刷の設備がなかったのです。

「し」「ち」「ふ」は実は最初からあった。変わったのは「つ」

ここは、調べていてもっとも意外だった部分です。

私たちが「ヘボン式」と呼んでいる shi・chi・fu という綴りは、実は1867年の初版の時点ですでに使われていました。

一方で「つ」だけは事情が違い、初版では tsz という、今では見慣れない綴りが使われていました。

「す」も同じく sz と書かれていて、当時のヘボンは日本語の実際の発音をどうローマ字で表すか、まだ試行錯誤を続けていたことがうかがえます。1872年の再版では、これらは su・tsu に改められています。

そして1886年の第3版で、当時「羅馬字会」という日本語のローマ字表記を研究していた団体が提案した綴りの体系を取り入れることで、私たちが今「ヘボン式」と呼んでいる形がひとつにまとまりました。

つまり、shi・chi・tsu を羅馬字会がゼロから作ってヘボンに押しつけた、という単純な話ではなく、ヘボン自身が初版から再版へと試行錯誤を重ねる中で徐々に磨き上げてきた綴りが、第3版で羅馬字会の考え方とすり合わされて完成した、という積み重ねの結果だったわけです。

辞書作りを支えたのは、実は日本人でした

もうひとつ付け加えたいのが、ヘボンひとりでこの辞書を完成させたわけではない、という点です。

辞書の編纂を手伝ったのは、岸田吟香(きしだぎんこう)という日本人でした。

ヘボンの治療を受けたことがきっかけで協力するようになり、辞書の書名を最初に考えたのも岸田だったと伝えられています。

また、ヘボンより先に来日していた宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンらの表記法からも影響を受けていたことが研究でわかっており、外国人が異文化の音をアルファベットに落とし込もうとするとき、そこには必ず、先人の試みと現地の言葉を熟知したパートナーの存在があったのだと感じます。

一方で「五十音を崩したくない」人たちもいました

ヘボン式が広まる一方で、これに異を唱える動きもありました。

明治時代、物理学者の田中館愛橘(たなかだていちき)らは、英語の読まれ方に合わせるヘボン式ではなく、五十音図の規則にそのまま従う「日本式」ローマ字を提唱し、日本式では「た行」を ta・ti・tu・te・to のようにそろえて、行としての規則性を崩しませんでした。

この日本式をもとに国(当時の文部省)がルールを簡略化し、1937年に内閣訓令として正式に定めたのが「訓令式」です。

訓令式はその後、長く小学校の国語教育で教えられる標準となり、日本語の音韻構造に基づいているため、日本語を母語とする子どもたちにとって直感的で覚えやすいとされてきました。

主な違いを一覧にすると

3つの方式で違いが出るのは日本語の音すべてではなく、一部の音に限られます。

「あいうえお」のような基本母音はどの方式でも共通で、差が出やすいのはさ行・た行・は行の一部と濁音の一部です。

かな ヘボン式 訓令式・日本式
shi si
chi ti
tsu tu
fu hu
ji zi

こうして並べてみると、ヘボン式は実際の日本語の発音の違いを綴りにも反映しようとしているのに対し、訓令式・日本式は五十音との規則的な対応を重視していることがよくわかります。

2025年12月、この長年の並立にひとつの区切りがつきました

ここが、今回この記事を書くために調べていていちばん驚いた部分です。

長らく「国語の授業では訓令式(si・ti・tu)、駅名やパスポートなど身の回りの表記ではヘボン式(shi・chi・tsu)」という食い違いが続いていたのですが、2025年8月20日、文化審議会は訓令式を基本としてきた1954年の内閣告示を改め、社会で広く使われているヘボン式に沿った表記を基本とするよう文部科学大臣に答申しました

そしてこれは単なる方針表明では終わらず、同年12月22日、実際に「ローマ字のつづり方」として内閣告示第4号が施行され、1954年の旧内閣告示は正式に廃止されています。

あわせて小学校の学習指導要領解説の国語編・外国語活動/外国語編もすでに一部更新され、新しい基準を踏まえた指導へ移行しています。

ただし、旧基準ですでにローマ字を学習した児童については、従来の扱いを認める経過的な取り扱いも示されています。

1937年に訓令式が定められてから、実に90年近く、1954年の内閣告示からでも70年以上を経ての大きな転換でした。

ただし、ここは正確に書いておきたいのですが、これは「ヘボン式に完全に統一された」という単純な話でもありません。

文化庁自身が、今回の改定はヘボン式をそのまま採用したわけではないと説明していて、たとえば b・m・p の前の「ん」を m と書く従来のヘボン式のならわし(Shimbashi のような書き方です)や、ch の前の促音を t で書く書き方は採用されず、

新しい表の中では撥音はすべて n、促音は子音を重ねる形に統一されています。

つまり正確に言うと、shi・chi・tsu・fu・ji のように社会で広く使われてきたヘボン式に近い綴りを土台にしつつ、日本語として扱いやすいように整理し直した新しい基準がつくられた、というのが実情です。

この記事のタイトルにある「なぜtsuなの?」という問いへの答えとしては、tsuはもはやヘボン式という一方式の中だけの選択肢ではなく、2025年12月以降は国の正式な表記の土台としても採用された、というかなり強い形の結論が今なら使えます。

「tu」「ti」「si」はもう間違いなのか

ここまで読むと、「じゃあ tu や ti や si はもう古いの、間違いなの」と思うかもしれません。

今回の改定より前から、パスポートの氏名表記や駅名、道路標識、企業名など、外国人向けの実用的な場面ではもともとヘボン式に近い表記が主流でした。

学校教育だけが訓令式で取り残されていた、というのが実情に近いでしょう。

2025年12月の内閣告示によって、訓令式のよりどころとなっていた1954年の告示そのものは廃止されましたから、tu・ti・si は「国が定める正式な基準」という立場からは外れたことになります。

とはいえ告示は過去の著作や文書のつづり方を否定するものではないとされていますし、五十音の規則性を重視するという考え方自体は、情報機器のローマ字入力など今も参考にされる場面があると位置づけられています。

学校の授業で tu・ti・si を目にする機会は、これから少しずつ減っていくはずですが、この綴りが持っていた「五十音との対応をきれいに保つ」という発想そのものがなくなるわけではない、というのが正確なところです。

パソコン入力で「tu」「ti」「si」が使えるのはなぜ

もうひとつよくある疑問がこれです。

パソコンやスマホで「つ」を tu と打っても tsu と打っても、どちらでもちゃんと「つ」に変換されます。

これは、入力用のローマ字と表記として読まれるローマ字がそもそも別物だからです。日本語入力システム(IME)は、ヘボン式・訓令式・日本式のどの綴りで打っても同じかなに変換できるよう、複数の方式のつづりをまとめて受け付けるように作られています。

入力のしやすさが優先される場面と、読み手にどう伝わるかが優先される場面は、切り分けて考える必要があるということです。

まとめ

「つ」がtsu、「ち」がchi、「し」がshiになるのは、日本語の実際の発音を英語話者にもできるだけ近く伝えようとして整えられた表記だからです。

「し」「ち」「ふ」は幕末に来日した宣教師ヘボンの辞書の初版からすでにあり、「つ」だけは初版のtszから再版のtsuへと形を変え、1886年の第3版で羅馬字会の考え方とすり合わされて、今のヘボン式が完成しました。

一方で、五十音との規則性を大事にする訓令式・日本式という表記もあり、そちらでは tu・ti・si と書かれます。

この2つは、どちらかが絶対的に正しいというものではなく、「誰に何を伝えたいか」という目的の違いから生まれた、いわば二つの正しさでした。

そして2025年12月、70年以上続いたこの並立に、政府はヘボン式に近い表記を基本とするという形でひとつの区切りをつけました。

ただしこれも、ヘボン式への完全な統一というより、社会に定着した表記を土台に、日本語として扱いやすい形へ整理し直したものだ、というのが正確な理解です。

富士通や三菱の綴りに感じたささやかな違和感の裏には、150年以上前にひとりの外国人宣教師とその日本人協力者が積み重ねた試行錯誤と、つい最近まで動いていた制度改革の両方が隠れていた、というわけです。

次にパスポートや駅の看板、あるいは自分の名刺のローマ字表記を見かけたときは、ちょっとその成り立ちを思い出してみてください。案外、そこに150年分の歴史が詰まっています。