仏教と神道の違い|「神道」はなぜ『日本書紀』で仏法と並んで登場したのか

お正月には神社で柏手を打ち(神道)、お盆にはお寺のお坊さんにお経をあげてもらう(仏教)。

多くの日本人にとって、神社とお寺を行き来するのはごく自然なことです。

ところが「仏教と神道は何が違うのか」と改めて聞かれると、うまく説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか。

文化庁の『宗教年鑑』令和6年版(2023年12月31日時点)によると、神道系の信者数は約8,337万人、仏教系は約8,107万人です。

すべての宗教を合わせると約1億7,223万人となり、日本の人口(約1億2,400万人)を5,000万人近くも上回ります。

信者の数え方が宗教団体ごとに違うために起きる現象ですが、筆者はこの「信者が人口からはみ出してしまう」数字に、日本の神と仏の関係がそのまま表れているように感じます。

この記事では、まず二つの違いを表で押さえます。

そのうえで、ほとんどの解説が素通りしている「神と仏はいつから、なぜ別々のものとして扱われるようになったのか」という裏側まで、史料をたどりながら掘り下げていきます。

まずは表で、二つの違いをつかむ

細かい話に入る前に、よく比べられるポイントを並べておきます。

まずはざっと眺めて、二つの性格の違いをつかんでください。

比べる点 仏教 神道
始まり 紀元前5〜4世紀ごろのインド。日本へは6世紀半ばに伝来 日本列島の自然や祖先への祈りから、いつとはなく形づくられた
開いた人 釈迦(ゴータマ・シッダールタ) 特定の開祖はいない
信仰の対象 仏(如来・菩薩・明王など)。お寺ごとに中心となる「本尊」が決まり、真言宗は大日如来、浄土真宗は阿弥陀如来、曹洞宗は釈迦如来というように宗派で違う 神(八百万の神)。神社ごとに「祭神」が決まり、天照大神のような神話の神、山や岩などの自然、菅原道真のように神としてまつられた人、祖先の霊が含まれる
教えの本 膨大な経典がある 仏教の経典にあたる統一された正典はない(古事記・日本書紀などは重要な古典)
目指すもの 悟りを開き、迷いの世界から抜け出す(成仏) 神をまつり、この世の暮らしと共同体を清らかに保つ
祈る場所 お寺 神社
仕える人 僧侶 神職(神主)
拝み方 静かに合掌。拍手はしない 二礼二拍手一礼が基本(独自の作法を持つ神社もある)
死の扱い 葬儀・法要が大切な役目 死は「穢れ」と結びつけられ、神社の境内では葬儀をしない(神葬祭は自宅や斎場で行う)
死後の名前 戒名(法名) 「〇〇命(みこと)」などの諡(おくりな)

表の中でも、二つの性格の違いがいちばんよく出ているのは「目指すもの」と「死の扱い」の二行です。

この二つを少し詳しく見ておくと、あとの歴史の話がぐっと理解しやすくなります。

目指している方向が逆向き

仏教は「迷いの世界から抜け出す」教え

仏教の出発点は、人生には思いどおりにならない苦しみがつきものだ、という釈迦の気づきにあります。

生まれ変わりを繰り返す迷いの世界(輪廻)から抜け出し、悟りに至ることが最終的なゴールです。

つまり仏教は、「この世界の外へ出ていく」ことを目指す教えだといえます。

神道は「この土地での暮らしを整え続ける」祈り

これに対して神道には、この世から抜け出すという発想がほとんどありません。

山や岩、祖先、土地そのものに神を感じ、お祭りで感謝を伝え、穢れを祓って暮らしを清らかに保つことが中心になります。

目指しているのは、この土地での毎日がこれからもうまく回り続けることです。

プロ野球のキャンプインの前に全員そろって神社へ必勝祈願へと出かけるのも、この祈りのまっすぐな延長にあると考えたらわかりやすいですね。

こうして比べると、向いている方向はまるで逆です。

それでも、病気が治りますように、商売がうまくいきますようにという現世利益の祈りは両方にあり、亡くなった人をまつる仕組みも両方が持っていました。

向きは違っても、人々の願いを受け止める場所は大きく重なっていて、この重なりがのちに二つを深く混ぜ合わせていく入り口になります。

死者の送り方がまったく違う

神社の境内で葬儀をしない理由

神道では、死に伴う状態は古くから「穢れ(けがれ)」と結びつけられ、祓い清めるべきものとされてきました。

ここでいう穢れは「汚い」という意味ではなく、祭りに臨む前に清めておくべき状態を指します。

そのため神道式の葬儀(神葬祭)も、神社の境内ではなく自宅や斎場で営まれます。

とはいえ、神道が死から目をそらしてきたわけではありません。

神葬祭や祖霊の祭りを通して、亡くなった人を家の中でまつり続ける仕組みを持っています。

それでも日常の弔いの大部分は仏教が引き受け、「生まれたら神社、亡くなったらお寺」という役割分担が暮らしに根づいていきました。

戒名と「〇〇命」

仏式では、亡くなった人に戒名(浄土真宗では法名)が授けられます。

神式では「〇〇命(みこと)」や「〇〇大人命(うしのみこと)」といった名で呼ばれ、家を見守る祖霊としてまつられます。

仏の弟子として旅立つのか、家の守り神としてそばに残るのか、同じ「亡くなった家族」でも行き先のイメージがこれほど違うのです。

「神道」は、仏法と並んで日本書紀に登場した

ここからが、この記事でいちばん伝えたい話です。

「神道」という漢語は中国の古典『易経』にも見られ、日本で発明された言葉ではありません。

ところが日本の神々への信仰を指す「神道」を日本書紀でたどってみると、驚くほど仏法と隣り合わせに置かれているのです。

二人の天皇についての記事

用明天皇「仏法を信じ、神道を尊ぶ」

日本の文献で「神道」という言葉が初めて現れるのは、720年に完成した『日本書紀』の用明天皇の巻とされています。

そこには「天皇信仏法尊神道」、つまり「天皇は仏法を信じ、神道を尊んだ」と書かれています。

「神道」は単独ではなく、最初から「仏法」とセットで登場しているわけです。

孝徳天皇「仏法を尊び、神道を軽んず」

同じ日本書紀の孝徳天皇の巻には、「尊仏法、軽神道」、つまり「仏法を尊び、神道を軽んじた」という評価が出てきます。

その例として挙げられているのが、生国魂社(いくくにたまのやしろ、現在の大阪・生國魂神社)の木を伐ったことでした。

ここでも神道は、仏法と天秤にかけられています。

名前のなかった信仰に、呼び名が必要になった

仏教が入ってくるまで、神々への祈りは空気のように当たり前で、わざわざ名前で呼ぶ必要がなかったのかもしれません。

そこへ海の向こうから「仏法」という名前のついた教えがやってきて比べる相手ができたことで、在来の信仰を指す呼び名として「神道」が使われるようになった、というのが有力な見方です。

筆者はこれを、転校生がやって来て初めて、自分たちのクラスの「らしさ」を言葉にする必要に迫られた瞬間のように想像しています。

そう考えると、「仏教と神道の違い」を説明した文章の元祖は、1300年前に完成した日本書紀そのものだといえるかもしれません。

この日本書紀という本には、採用しなかった異伝をわざわざ書き残すなど、読み物としても面白い仕掛けがいくつもあります(参考:日本書紀はなぜ面白い?「作りかけ」が見える日本最古の正史を読み解く)。

神様が仏に救いを求めた時代

呼び名を得た神道は、その後、仏教と対立するどころか、驚くほど深く混ざり合っていきます。

その始まりを象徴する記録が、三重県の多度大社に残っています。

多度の神の告白(763年)

平安時代初めの801年(延暦20年)にまとめられた『多度神宮寺伽藍縁起并資財帳』には、763年(天平宝字7年)の出来事が記されています。

満願禅師が道場で阿弥陀像を造っていたとき、多度の神がある人物に託して、おおよそ次のように告げたというのです。

「我は久しい時を経て重い罪業をなし、神道の報いを受けた。今は願わくは、永く神の身を離れるために、三宝(仏教)に帰依したい」

神が自分の境遇を「罪の報い」と呼び、仏教に救いを求めているのです。

当時の仏教では、神もまた輪廻の中で迷う存在の一つと考えられていたため、神を仏の力で救うという発想が成り立ちました。

こうして神社のそばに「神宮寺」が建てられるようになり、多度のほかにも気比(福井県)などで似た話が伝わっています。

ちなみに、ここでの「神道」は日本書紀の用例とは違い、「神という境遇」くらいの意味で使われています。

神は仏の仮の姿、という考え方

本地垂迹と「権現」

平安時代になると、「日本の神々は、仏が人々を救うために姿を変えて現れたもの」という本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が広まります。

本体(本地)は仏で、日本に跡を垂れた姿が神だという理屈です。

「〇〇権現」の「権」は「仮の」という意味で、権現とは文字どおり「仏が仮に現れた姿」を指します。

八幡大菩薩という不思議な肩書き

八幡神には781年に朝廷から「護国霊験威力神通大菩薩」の号が奉られたと伝わり、やがて「八幡大菩薩」と呼ばれるようになりました。

神でありながら菩薩でもあるという、今の感覚では不思議な肩書きです。

武士たちが唱えた「南無八幡大菩薩」という言葉にも、この神仏習合の名残がはっきり刻まれています。

神が根本だとする逆転の発想

神道の側がずっと従う立場だったわけでもありません。

室町時代には吉田兼倶(よしだ・かねとも)が、神こそが根本で、仏はその枝葉にすぎないという逆の理屈を打ち出しました。

上下の順番は入れ替わっても、「神と仏は一つの体系の中にいる」という前提そのものは、ここでも崩れていません。

明治、神と仏は引き離された

江戸時代は、神主の葬式もお寺だった

江戸幕府はキリシタン禁制と宗門改めのため、人々を寺院との檀家関係に組み込む寺請制度を広く整えていきました。

その結果、葬儀はお寺の担当となり、神社に仕える神職でさえ仏式で葬られるのが普通になります。

神職が自分の葬儀を神道式で行うことを幕府が認めたのは1785年(天明5年)で、それも吉田家から許可状を受けた神職本人と跡継ぎに限られていました。

神主が神主らしく送られるのに許可が必要だったというのは、筆者にとってこの歴史の中でいちばん意外な事実でした。

神仏判然令と廃仏毀釈

1868年、神社から「仏」を取り除く

明治新政府は、天皇を中心とした国づくりの柱に神道を据え、1868年(慶応4年・明治元年)3月28日に、いわゆる「神仏分離令(神仏判然令)」を出しました。

「〇〇権現」「牛頭天王」のように仏教の言葉を使った神の名前を改めさせ、ご神体の仏像や、鰐口・梵鐘といった仏具を神社から取り除かせる内容です。

「分けなさい」が「壊せ」にすり替わった

命令の中身は神社から仏教の要素を取り除くことで、寺を壊せとも仏教をやめろとも書かれていません。

政府は同じ年の4月や9月に、分離にかこつけた乱暴な振る舞いを戒める布告まで出しています。

それでも各地では長年の不満や行き過ぎた熱意に火がつき、仏像や経典が打ち壊される廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。

火葬が禁止された2年間

分離の勢いは、お葬式のやり方にまで及びます。

1873年(明治6年)、政府は神葬祭を後押しする流れの中で、火葬を仏教的な習俗とみて禁止しました。

ところが土葬には広い墓地が要り、不便や弊害を訴える声がすぐに上がったうえ、宗教政策そのものも転換していきます。

結局、禁止はわずか2年後の1875年(明治8年)に解かれました。

今ではほとんどの人が火葬で送られる国で、火葬が「仏教っぽい」という理由で禁じられた時期があったのです。

仏教と神道の境目が、信仰の内側からではなく政治の机の上で引かれたことを、これほどはっきり示す出来事はなかなかありません。

今も残る「分けきれなかった」跡

明治に強引な線が引かれても、約1000年分の同居の跡はそう簡単には消えませんでした。

統計の数字の中にも、境内の風景の中にも、その名残は今も顔を出しています。

仏教系の神社が19、神道系の寺院が13

『宗教年鑑』令和6年版によると、宗教法人のうち神社に分類されるものは全系統を合わせて約8万、寺院は約7万5,000あります。

日本フランチャイズチェーン協会が集計した2023年12月の正会員コンビニ店舗数は55,713店なので、集計の対象は違うものの、神社もお寺もコンビニより多いことになります。

さらに内訳を見ると、仏教系の宗教法人の中に「神社」が19、神道系の中に「寺院」が13数えられています。

どの神社・寺院なのか、どんな事情でそう分類されているのかまでは集計表からは分かりません。

それでも筆者の目には、この小さな数字が、明治に引かれた線の外側にはみ出したまま残っている神と仏の同居の名残のように見えてしまいます。

お寺なのに鳥居がある豊川稲荷

愛知県の豊川稲荷は、名前から神社だと思われがちですが、正式には妙厳寺という曹洞宗のお寺です。

それでも境内には大きな鳥居が立ち、「豊川稲荷」として信仰される鎮守・豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)がまつられています。

神仏分離の時代を越えて、お寺と鳥居の組み合わせが残った例として知られています。

信者数が人口を超える理由

冒頭で触れた「信者数が人口を上回る」数字にも、ここで戻っておきます。

『宗教年鑑』の「信者」には、各宗教団体が氏子、檀徒、教徒、信者、会員、崇敬者などと呼ぶ人々が含まれ、その定義や数え方は団体ごとに異なります。そのため同じ人が複数の団体の数字に入ることもあり、合計すると人口を上回ってしまうのです。

「お葬式の9割近くは仏式なのに、信者の数が半々なのはおかしい」と感じた方もいるはずですが、からくりは数え方にあります。

神社はその土地に生まれ育った人を氏子として数えるため、本人に信仰の自覚がなくても人数に入ります。

お寺は檀家になっている家の人数を数えるので、こちらは葬儀や法事の実態とほぼ重なり、同じ「信者」の欄に並んでいても中身の濃さはまるで違うのです。

何人が神道と仏教の両方に数えられているのかは、この統計からは分かりません。

それでも、地元の神社の氏子でありながら先祖代々のお寺の檀家でもある、という家は日本では珍しくありません。

人口からはみ出したこの数字は、「どちらか一つを選ぶ」形をとってこなかった日本の信仰の姿を、いびつなりに映し出しているともいえます。

キリスト教徒が人口の2%にも満たないこの国で、クリスマスが当たり前の年中行事になっているのも、同じ感覚の表れといえるでしょう(参考記事:日本はキリスト教国ではないのに、なぜクリスマスを祝うの?)。

お参りのときに押さえておきたいこと

仏教と神道は、目指すものも死者の送り方もはっきり違う二つの信仰です。

一方で、「神道」という言葉は日本書紀の中で仏法と並んで登場し、その後約1000年にわたって神と仏は同じ場所でまつられてきました。

神と仏の区別そのものは古くからありましたが、長く習合してきた神社と仏教を政府が制度として切り分けたのは明治の初めで、そこからまだ160年もたっていません。

実際にお参りするときは、「ここは神社か、お寺か」を確かめて、その場にふさわしい作法をとれば大丈夫です。

神社では二礼二拍手一礼、お寺では拍手をせず静かに合掌するという使い分けさえ押さえておけば、ほとんどの場面で困ることはありません。

そのうえで、鳥居のあるお寺や、「権現」「明神」といった名前に出会ったら、少しだけ足を止めてみてください。

そこには、神と仏が長いあいだ肩を並べて暮らしてきた時間がひっそりと残っています。

違いを知ることは二つを切り離すためではなく、どれだけ長く一緒にいたのかを知るためにある、と筆者は思っています。

■参考資料

  • 文化庁『宗教年鑑』令和6年版(2023年12月31日現在)
  • 『日本書紀』用明天皇即位前紀・孝徳天皇即位前紀
  • 『多度神宮寺伽藍縁起并資財帳』(延暦20年・801年)
  • 国立公文書館「日本のあゆみ 明治元年(1868)3月|神仏分離令が出される」
  • 一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会「コンビニエンスストア統計調査」2023年12月度