
日本人の多くは初詣に行き、お盆にはお墓参りをして、12月になるとツリーを飾ります。
考えてみるとなかなか不思議な光景で、日本はキリスト教の国ではないのに、クリスマスだけは国じゅうが本気で盛り上がっているのです。
この記事では「いつから」「なぜ」という二つの疑問に、できるだけ分かりやすく答えていきます。
結論:日本に根づいたのは「信仰」ではなく「年末のお祭り」としてのクリスマスです
先に答えを書いておくと、日本で初めてクリスマスが祝われたのは戦国時代の1552年で、一般の人々に広まりはじめたのは明治の終わりごろです。
ただし、広めた主役は教会ではなく、お店や会社でした。宗教としてのクリスマスは何度も日本に入ってきたものの、そのたびに大きくは広がらず、その中で日本社会全体に広く根づいたのは、「ケーキを食べ、プレゼントを贈り、街を飾る年末のイベント」としてのクリスマスだったのです。
そもそも日本にキリスト教徒はどのくらいいるの?
文化庁の『宗教年鑑』令和7年版(2024年12月31日現在)によると、キリスト教系の信者数はおよそ187万人です。
日本の人口が約1億2,300万人ですから、割合にすると2%にも届きません。
ただ、この統計には少し面白いクセがあって、同じ年鑑では神道系が約8,636万人、仏教系が約8,046万人となり、全部を合計すると約1億7,505万人と、人口を5,000万人以上も上回ってしまいます。
信者の数え方が宗教団体ごとに違うためなのですが、神社にも行くしお寺にも行くという日本人の暮らしぶりが、そのまま数字に表れているようにも見えます。
この「どれかひとつに決めない」感覚こそが、クリスマスを受け入れる土台になったのかもしれません。
宗教としてのクリスマスには、大きく三つの流れがありました
日本のクリスマスの歴史は、この記事では大きく三つの流れに分けて見ることができます。
けれども、そのどれもが日本じゅうに広まるところまでは行きませんでした。
1度目:1552年、山口で開かれた日本初のクリスマス
記録に残る日本初のクリスマスは、1552年に周防国山口(いまの山口県山口市)で開かれました。
フランシスコ・ザビエルのあとを継いだ宣教師コスメ・デ・トーレスらが、日本人の信徒を招いてミサ(キリスト教の礼拝)を行ったのです。
当時の宣教師の手紙には、決して上手な歌声ではなかったけれど信徒たちはとても喜んだ、という様子が書き残されています。
山口市はこの出来事にちなんで「日本のクリスマス発祥の地」を名乗り、毎年12月にはさまざまな催しを開いています。
しかし江戸幕府がキリスト教を禁止すると、この最初のクリスマスは表舞台から姿を消していきました。
2度目:江戸時代の出島で「冬至」に化けたクリスマス
ここは、ほかのクリスマス記事ではあまり見かけない話です。
キリスト教が禁じられていた江戸時代にも、長崎の出島で暮らすオランダ人たちは、こっそりクリスマスを祝っていました。
国立国会図書館の資料によると、彼らは近くの唐人屋敷に住む中国の人々が、毎年冬至(いまの暦で12月22日ごろ)に盛大な宴会を開いていることに目をつけました。
冬至のお祝いに見せかければ、クリスマスの宴を開いても怪しまれないというわけです。こうして生まれたのが「阿蘭陀冬至(オランダとうじ)」で、朝から銅鑼を鳴らして行列が回り、夜はごちそうが並び、ヨーロッパのクリスマス料理と同じように果物をくわえた豚の頭まで出されたそうです。
名前を変え、日付を少しずらしてでも祝いたかったオランダ人たちの気持ちを思うと、なんだか胸が熱くなります。
とはいえ、この祝いはあくまで出島の中だけのもので、江戸時代が終わると役目を終えて消えていきました。
3度目:明治の教会と、殿様姿のサンタクロース
開国後、外国人居留地ではすでに宣教師たちが活動を始めていました。
明治6年(1873年)にキリスト教を禁じる高札が撤去されると、教会や学校を通じた活動がさらに公然と広がっていきます。
1874年には、洗礼を受けたばかりの原胤昭らがクリスマス会を開き、ここに日本初とされるサンタクロースが登場したと伝えられています。
このとき登場したサンタクロースを演じたのは戸田忠厚(とだ ただあつ)という人で、裃(かみしも)を着て刀を差し、かつらをかぶった、まるでお殿様のような姿だったと伝えられています。
赤い服のサンタを誰も見たことがなかった時代に、精いっぱい考えた「えらいおじいさん」の姿だったのでしょう。そもそもサンタクロースがどんな人物をもとに生まれたのかは、サンタクロースの正体は?でたっぷり掘り下げているので、ぜひのぞいてみてください。
それでも、キリスト教徒は人口のごく一部でした
こうして明治の教会は正面からクリスマスを伝えましたが、日本のキリスト教徒はその後150年たっても、人口のごく一部にとどまっています。
つまり、日本人がクリスマスを祝うようになったのは信仰が広がったからではない、ということになります。では、いったい何が広めたのでしょうか。
クリスマスを日本に根づかせたのは、お店と会社でした
明治屋の飾りつけと、不二家のクリスマスケーキ
教会の動きとほぼ同じころ、商店もクリスマスに目をつけはじめていました。
その代表が、1885年に横浜で開業した輸入食品店の明治屋で、1900年(明治33年)に東京の銀座へ店を出すとクリスマスの飾りつけや売り出しを行い、一般の人々がクリスマスを目にするきっかけをつくりました。
ケーキについては、1910年創業の不二家が早くからクリスマスケーキを売り出しています。
当時はドライフルーツを使った日持ちのする焼き菓子だったと伝えられていて、いまのような「スポンジにいちご」の形に近づくのは、不二家が1922年にショートケーキを売り出してからのことです。
真っ白なクリームに赤いいちごという組み合わせは、欧米の伝統的なクリスマス菓子の主流とは異なる、日本で定番化した形です。
紅白を思わせる色合いがお正月のおめでたさにも通じているあたり、本当によくできた商品だと感心してしまいます。

12月25日が、21年間も「休日」だった
昭和のはじめになると、クリスマスはさらに大きく広がります。
コラムニストの堀井憲一郎氏は、昭和初期の東京ですでにクリスマスが大にぎわいになっていた様子を紹介しています。
そこへ重なったのが、ある偶然でした。
1926年12月25日に大正天皇が亡くなり、翌1927年からこの日は「大正天皇祭」という国の休日になったのです。
この休日は1948年に祝日の法律ができて廃止されるまで21年間続いたので、学校も役所も休みだったことが、クリスマスが広まる後押しになった可能性は十分にあります。
もっとも、にぎわいは休日になる前から始まっていたため、「休日だから広まった」とまでは言い切れず、追い風のひとつと考えるのがよさそうです。
それにしても、先帝をまつる皇室祭祀の日に、キリストの誕生を祝うケーキやツリーが並んでいたわけですから、なんとも日本らしい重ね方だと思います。
ちなみに、クリスマスの日付そのものがどう決まったのかについては、クリスマスはなぜ12月25日なの?で詳しく紹介しています。
ケンタッキーと「クリスマス・イブ」が形づくった、戦後の姿
戦後のクリスマスは、まず大人がにぎやかに飲み歩く夜になり、やがて家庭で子どもと祝う行事へと移っていきました。
その流れを象徴する出来事のひとつが、日本KFCが1974年に始めたクリスマスキャンペーンです。
欧米一般ではフライドチキンがクリスマスの定番料理ではないのに、いまでは12月24日の店の前に行列ができるほどの定番になりました。

1980年代に入ると、今度は恋人たちのイベントへと姿を変えます。
1983年に発売された山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、1988年のJR東海「ホームタウン・エクスプレス X’mas編」で使われ、翌1989年の「X’MAS EXPRESS」でも起用されました。同年12月にはオリコン1位を獲得しています。
ところで、日本で25日よりも24日の夜のほうが盛り上がるのには、教会の暦にさかのぼるちゃんとした理由があります。
気になる方はなぜ、25日ではなくて24日に祝うの?もあわせて読んでみてください。
いまのクリスマスは、少し静かになっています

最近のクリスマスは、昔ほどの盛り上がりではなくなってきました。
調査会社インテージが2025年11月に全国の15〜79歳の男女5,000人を対象に行った調査では、クリスマスに「予定はない」と答えた人が54.1%にのぼり、前年の51.1%からさらに増えています。
予定がない理由としていちばん多かったのは「興味・習慣がない」(31.1%)でした。
クリスマスの平均予算は16,418円で、同社はこれをもとに2025年の市場規模を7,274億円(前年比94.2%)と試算しています。恋人たちのイベントとしての勢いがひと段落して、身近な人と静かに過ごす形へ移りつつあるのかもしれません。
クリスマスからお正月までの一週間は、「気持ちの切り替え」の時間でした

12月25日の夜に街じゅうでクリスマスを祝ったかと思えば、翌朝にはツリーが片づけられて門松が並び、31日には除夜の鐘が鳴って、1月1日には大勢の人が神社へ向かいます。
キリスト教から仏教、神道へと一週間で乗り換えているように見えますが、私自身は、宗教が切り替わっているという感覚を持ったことがありません。
実はいまの形の「初詣」も、明治以降に鉄道会社が参拝客を呼び込むなかで広まった、わりと新しい習慣です。
クリスマスと初詣はどちらも近代の商売が育てた年中行事という点でよく似ていて、この話は『初詣はいつから始まった?実は明治に鉄道会社が広めた「新しい伝統」でした』で掘り下げています。
私にとってこの一週間は、季節が移り変わるというより、気持ちが次々と入れ替わっていく時間でした。
24日と25日に気分が最高潮まで上がり、その熱が冷めないうちに大掃除や帰省の準備が始まって、大みそかには一年を振り返り、年が明けた瞬間には「今年もよろしく」とあいさつをすることになります。
チキンとケーキのすぐあとに年越しそばとおせちが待っているので、一年でいちばん体重が増える時期でもあるのですが、それも含めてこの一週間の名物のようなものでしょう。
体は年末年始の用事でずっと慌ただしいうえに、気持ちのほうも数日おきに切り替わるものですから、この一週間だけは毎年やけに濃く記憶に残っているのです。
年が明けると、次のイベントまでが長すぎます
ただ、ひとつだけ不満もありました。この一週間が終わると、次に心が躍る行事までがとにかく遠いのです。
1月半ばから3月にかけては、少なくとも男性の側から見ると、自分から計画して盛り上がれるイベントがほとんどありません。
バレンタインはもらえるかどうかを待つ日で、ホワイトデーはお返しをする日ですし、卒業や入学で盛り上がれるのは当事者だけでしょう。
12月に全力を出しきったあとに広がる、何もない平原のような2月と3月を前にして、「一年の行事の配分がかたよりすぎではないか」と毎年のようにぼやいていました。
まとめ:日本人が手放さないのは、一年の「区切り」です
日本の宗教としてのクリスマスには、戦国時代の山口、江戸時代の出島、明治の教会という、大きく三つの流れがありましたが、どれも国じゅうに広まるまでには至りませんでした。
代わりに根づいたのは、明治屋が店を飾り、不二家がケーキを売り、ケンタッキーがチキンを売り、テレビCMが恋人たちの夜を描いた、お祭りとしてのクリスマスです。そこへ12月25日が21年間休日だったという偶然も重なり、日本の年中行事としてすっかり定着しました。
だからこそ、日本人がクリスマスを祝う理由は、信仰があるかどうかではなく、一年をしめくくる区切りが欲しいかどうかにあるのだと思います。
今年もまた、あの慌ただしくて濃い一週間が少しずつ近づいてきています。
あわせて読みたい
■参考にした資料
- 文化庁『宗教年鑑』令和7年版(宗教統計調査、2024年12月31日現在)
- 国立国会図書館 電子展示会「出島のクリスマスとオランダ正月」
- レファレンス協同データベース「山口では、日本で初めてクリスマスが祝われたとされるが、その記録がみたい」
- 現代ビジネス「明治日本初のクリスマス、サンタクロースは殿様姿で登場した」
- 堀井憲一郎「戦前昭和クリスマスの狂乱っぷり」に関する記事(現代ビジネス)
- 国立天文台 暦Wiki「明治以降の休日」
- 株式会社不二家 沿革、日本KFC 沿革
- 株式会社インテージ「クリスマス“予定なし”54% 前年から3ポイント増」(2025年12月12日発表)
- 平山昇「初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事」(SYNODOS)
※信者数は宗教団体ごとに定義や数え方が異なるため、目安としてご覧ください。歴史上の出来事には、宣教師側の記録にのみ残るものや諸説あるものが含まれます。
