「怒る」と「叱る」の違い|辞書が分けているのは、感情か愛情かではありません

「怒るのはダメ、叱るのが正しい」——子育ての本を開いても、新人研修の資料をめくっても、たいていこの一文に行き当たります。

怒るのは自分の感情をぶつけること、叱るのは相手のためを思って伝えることというのは、よくできた説明ですし、実際に役立つ場面も多いのだろうと思います。

ただ、この記事を書くために辞書を何冊もひっくり返してみて、正直なところ少し面食らいました。

あの有名な「感情か、愛情か」という線引きが、少なくとも主要な国語辞典の語釈には出てこないのです。

それどころか千年前の物語では、登場人物が腹を立てながら堂々と叱っています。

先に結論だけ

辞書の上では、「怒る」は腹を立てるという感情や状態を中心に持ち、そこから派生して「叱る」の意味も兼ねています。

対する「叱る」は、相手のよくない点を強くとがめるという行為そのものを指します。

つまり両語はきちんと区別されているのですが、その境目は「感情か愛情か」ではなく、感情の高まりを中心に表す語か、相手をとがめる行為を中心に表す語か、という別のところにありました。

「怒る=感情的、叱る=相手のため」という二分法のほうは、辞書由来の意味の違いというより、教育や子育ての現場で作られた実践的な区別と考えたほうが実態に近そうです。

以下、その根拠を辞書・漢字・語法・法律の四方向から順に見ていきます。

観点 怒る 叱る
語の中心にあるもの 腹を立てるという感情の高まり 相手の非をとがめるという行為
辞書上の関係 第二の意味として「しかる」も持つ 「腹を立てる」の意味は持たない
向き 上下を問わない 原則として目上から目下へ
対象 人・物事・状況まで幅広い 主に人や動物など、行動をとがめられる相手
品詞の扱い 自他の扱いは辞書によって異なる 他動詞
敬語の形 お怒りを買う/お怒りを解く お叱りを受ける/お叱りを賜る
公的な漢字表への採用 1946年の当用漢字表 2010年の常用漢字表改定(字体は『𠮟』)

まず、辞書はこの二語をどう分けているのか

「叱る」の語釈に、感情を抑えよという条件はない

『精選版 日本国語大辞典』の「叱る」を引くと、そこにあるのは「目上の者が、目下の者のよくない点や、あやまちなどを見て強い調子でとがめる。

いましめる」という一文だけです。感情をコントロールせよという条件はどこにも付いていません。

むしろ「強い調子で」と、声を張る側面のほうが明記されているくらいです。

一方の「怒る」には、腹を立てるという意味に加えて、しっかり「叱る」の意味も収められています。

この二語は、対立するというより片方がもう片方を含む入れ子の関係になっていて、少なくとも「感情を出したら怒る、抑えたら叱る」という切り分けは辞書の側からは出てきません。

千年前の用例では、腹を立てながら叱っている

同じ辞書が「叱る」の最も古い用例として挙げているのは、十世紀後半の『落窪物語』にある「腹だちしかりながら、笑はれぬ」という一節です。

腹を立てて叱っていたのに、つい笑ってしまった、という場面ですね。

この時点で「腹立ち」と「しかる」は矛盾なく同居していて、書き手はそこに何のねじれも感じていません。

もう少し時代が下った江戸の笑話本『聞上手』(1773年)でも、「むすこおやぢに度々しかられて」と、ごく日常的な親子のやりとりとして使われています。

「叱る」という語は、感情を排した高等な技術という顔を、歴史のなかでずっとしてこなかったのだと分かります。

中心的な違いは「感情の高まり」か「相手をとがめる行為」か

では両語に違いはないのかというと、そんなことはありません。

ここは記事のいちばん大事な部分なので、丁寧に書きます。

「彼はまだ怒っている」と「母はまだ子どもを叱っている」は、どちらもごく自然な日本語です。

ただ、前者で続いているのは主に感情の状態であるのに対し、後者で続いているのは相手への働きかけのほうでしょう。

「怒る」は腹を立てるという感情の高まりを中心に表し、「叱る」は相手をとがめる行為を中心に表す。

この二語の距離はそこにあるのであって、感情を出すか出さないかという線とは別のものです。

『精選版 日本国語大辞典』の記述も、この見立てと符合します。

「おこる」の語釈は①腹を立てる、②しかる、という順で並んでおり、少なくとも現代語の語義記述では、感情を表す意味が先に置かれ、とがめる意味もあわせて認められています。

では、あの二分法はどこから来たのか

正直に書いておくと、「怒る=感情、叱る=愛情」という説明の初出を、私は特定できませんでした。

育児書、教員向けの指導書、企業研修のテキストと、それらしい出どころをいくつも当たってみたのですが、どれもすでに定着したものとして引用しているだけで、誰が言い出したのかまでは辿り着けなかったのです。

ただ、性質としてははっきりしています。

これは言葉の意味の説明ではなく、行為の分類です。

同じ「大きな声で相手を責める」という行動を、目的のあるものとないものに切り分け、前者だけを許容するためのラベルとして、たまたま手元にあった二つの動詞が割り当てられた。

そう捉えると、辞書と現場の食い違いにも説明がつきます。

これは決して悪いことではなく、むしろ実務的にはよくできた工夫だと思います。

ただ、それを日本語の伝統的な使い分けだと信じ込んでいると、次の章のような場面で足をすくわれます。

漢字と読みをたどると、もっと面白いことになる

「叱」が常用漢字に入ったのは、2010年のこと

意外に知られていませんが、「叱」という字が常用漢字表に入ったのは、平成22年(2010年)11月30日の内閣告示によってです。

このとき196字が追加され、そのなかに「叱(シツ・しかる)」が含まれました。

逆に言えば、それ以前は常用漢字の外にあり、公用文などでは原則としてかな書きにする対象でした。

新聞でも「しかる」と書かれるのが一般的だった時期が長く続いています。

ここで念のため補っておくと、常用漢字表は文化庁自身が「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安」と位置づけているもので、表にない漢字の使用を法律で禁じているわけではありません。

あくまで公用文や報道での運用上の目安です。

それでも、「怒るのではなく叱りなさい」という教えが世の中に広まっていったころ、肝心の「叱」が新聞紙面では基本的にひらがなで処理される字だったという事実は、なかなか示唆的だと思いました。

書き分けを説く言説のほうが、書き分けるための文字より先に走っていたわけですから。

常用漢字表が採用したのは、実は「叱」ではない

さらに細かい話をすると、常用漢字表に掲げられている字体は、口へんに「七」を書く「𠮟」のほうです。

私たちが画面や本で日常的に目にしている、口へんに「匕」の「叱」ではありません。

日本漢字能力検定協会の漢字ペディアでも「𠮟」が常用漢字として立項され、「叱」はその異体字として扱われています。

この点について常用漢字表そのものが、「『𠮟』と『叱』は本来別字とされるが、その使用実態から見て、異体の関係にある同字と認めることができる」と、わざわざ断りを入れています。

本来は別の字だけれど、みんな区別せずに使っているのだから同じ字として認めましょう、という判断ですね。

厳密さを求めるはずの国語施策が、ここでは現実のほうに折れている。

この一文を見つけたときは思わず唸ってしまいましたし、個人的にはこの記事でいちばん好きな発見です。

ちなみに字の成り立ちは形声で、意味を担う「口」と、音を表す「七」から成っています。

心を表す部品が入っていないというのは、この字の性格を考えるうえで小さくない手がかりかもれないと私は思っています。

「怒」には「いかる」と「おこる」がある

対する「怒」は「心」と、音を表す「奴」から成る形声文字で、こちらは1946年の当用漢字表の時点ですでに採用されていました。

そして常用漢字表では「いかる」と「おこる」という二つの訓が認められています。

ただ、この二つは単なる読み違いではありません。

それぞれ別の歴史を持つ日本語に、あとから同じ漢字が当てられた結果です。

「いかる」は、もともと「角立つ」だった

古い層である「いかる」には、腹を立てるという意味のほかに、「角張って、ごつごつしている」という意味があります。

『デジタル大辞泉』はこちらを本来の意味とし、感情が角立てば腹を立てる意にもなった、と補説で説明しています。

その名残がいちばん分かりやすいのが「怒り肩」です。

角張って持ち上がった肩を、私たちはいまでもそう呼んでいます。

感情の高ぶりと形の鋭さが一つの語のなかで地続きになっているようで、調べていていちばん楽しかったのがこの部分でした。

「おこる」は「起こる」と同源だという説明

もう一方の「おこる」については、同じ『デジタル大辞泉』の補説が、「起こる」と同源で、勢いが盛んになる意から気持ちの高ぶりを指すようになったものらしい、と述べています。

そこから連想すると、「怒る」は自分から意図的に始める行為というより、内側で感情が立ち上がってくる様子を表す語だった、と見ることもできそうです。

あくまで私の解釈ですが、二分法が「怒る」ばかりを悪者にしがちなのも、この語感を踏まえると少し同情的に眺められます。

「おこる」は、意外と新しい言葉だった

そしてここからが、今回いちばん驚いた発見です。

『精選版 日本国語大辞典』は「おこる」の語誌に、現代語としては最も一般的ながら、その成立は近世後期以降と考えられる、と書いています。

挙げられている最初の用例も、式亭三馬の『浮世風呂』(1809〜13年)でした。

辞書に確認できる初出用例だけを比べれば、「しかる」は「おこる」より八百年以上も先輩ということになります。

もちろん、怒りを表す日本語そのものが新しかったわけではありません。

「いかる」は平安時代初期まで遡ります。

それでも、現代ではごく基本的な感情語に見える「おこる」が、実は比較的新しい語だったというのは意外でした。

現代の感覚では、「怒る」のほうが基本語で、「叱る」はそこから枝分かれした言葉のようにも見えます。

ところが、少なくとも「おこる」と「しかる」の初出用例を比べる限り、その順番は逆です。

私たちが日常もっともよく使う「おこる」が近世後期の成立とされる——これは、今回調べたなかでもかなり面白い発見でした。

その違いは、語法にもはっきり表れる

「叱る」には向きがある

実際の使い分けがどこに残っているかというと、意味よりも文の作り方のほうです。

「叱る」は目上から目下へという方向を語そのものが背負っているため、部下が上司を叱ると言うと、どうしても座りが悪くなります。

ところが「上司に怒る」なら、何の問題もなく成立してしまいます。

もっとも、目下といっても対象が自分の責任下にある相手だけに限られるということはありません。

近所の子どもを叱る、後輩を叱る、はしゃぎすぎた犬を叱る——どれも自然な日本語です。

要は、その行動をとがめる立場に立てるかどうかで決まります。

「怒る」の自他の判定は、辞書のあいだでも割れている

ここは調べていて意外に奥が深かった部分です。

「叱る」のほうは『精選版 日本国語大辞典』でもはっきり他動詞に分類されていて、迷いがありません。

ところが「怒る」となると、辞書によって扱いが分かれます。

「彼が怒る」のような自動詞用法は当然として、「上司が部下を怒る」という言い方も現実に使われています。

『明鏡国語辞典』や『新明解国語辞典』はこれを踏まえて自他両用として扱う一方、『精選版 日本国語大辞典』や『デジタル大辞泉』は「おこる」全体を自動詞と分類したうえで、その第二義に「しかる」を置いています。

同じ実際の用法を前にしても、品詞をどう整理するかは辞書によって判断が分かれています。

「怒る=自他両用、叱る=他動詞」ときれいに切り分けないほうが、実態には忠実です。

それでも確かなことはあって、「怒る」は人以外にも向かえます。

渋滞に怒る、値上げに怒る、天気に怒る——いずれも成立するのは、この語の主役が相手ではなく感情のほうだからでしょう。

「叱る」で同じことをやろうとすると、途端に相手が必要になります。

敬語にすると、差がくっきり見えてくる

「お叱り」と「お怒り」は、受け取るものが違う

ビジネスの場面を思い浮かべてみてください。

「お叱りを受ける」とは言いますが、「お怒りを受ける」とはあまり言いません。

逆に「お怒りを買う」「お怒りが解ける」は自然でも、「お叱りを買う」は妙に響きます。

これは、「お叱り」が相手から自分へ渡される指摘という行為であるのに対し、「お怒り」は相手の内側にとどまっている感情の状態だからです。

行為は受け取れても、状態は買うか鎮めるかしかできません。

前の章で見た「状態か行為か」という差が、敬語の言い回しのなかにきれいに保存されています。

日常の慣用表現のほうが、道徳的な二分法よりよほど正確にこの二語を仕分けていました。

「叱咤」「叱正」が教えてくれること

面白いのは、「叱」の付く熟語が、必ずしも怒りだけを表すわけではない点です。

『精選版 日本国語大辞典』の「叱咤」には、「大声をあげてしかること」と「大きな声ではげますこと」の二つの意味が並んで載っています。

この字を怒りとだけ結びつけていると、「励ます」という意味まで抱えているのは少し意外に感じられるところです。

また、原稿を人に送るときに添える「ご叱正を賜りたく」の「叱正」は、他人の文章などの誤りを指摘して正してもらうことを指します。

こうして並べてみると、「叱」は怒りという内面の感情そのものより、口から相手に働きかける行為との結びつきが強い字だと見ることができます。

意味を担うのが「口」の側だという形声文字の成り立ちとも、無理なく重なります。

「叱る」の周りには、もっと細かい言葉が並んでいる

ここまで二語だけを見てきましたが、日本語には相手の非を指摘する語がもっとたくさんあります。

二択で悩む前に、そもそも選択肢が二つしかないという前提を疑ってみてもいいのではないでしょうか。

中心にあるもの 使いどころ
叱る 強い調子でとがめる 目上から目下へ、はっきり非を伝える
怒鳴る 大声を出すという動作 音量が主役で、内容は問わない
諭す(さとす) 道理を説いて納得させる 穏やかに、理由から入る
戒める(いましめる) 過ちを繰り返させない 今後に向けて釘を刺す
窘める(たしなめる) 行きすぎを軽く抑える 柔らかく、その場で止める
咎める(とがめる) 不審や非を問いただす 目上・目下を問わず使える

この表を作りながら気づいたのは、実際の場面で必要になる語の多くは「叱る」ではないということでした。

子どもが道路に飛び出したなら戒めるでしょうし、会議で言いすぎた同僚には窘めるが近い。

上司の判断に納得できないときは咎めるという選択肢もあります。

二分法にとらわれていると、こういう細かい道具がまるごと視界から消えてしまいます。

いま重要なのは「怒るか叱るか」より、その言動が許される範囲か

2022年、民法から「懲戒権」が消えた

ここが、この記事でいちばんお伝えしたかった部分かもしれません。

長らく各家庭や各職場の感覚に委ねられてきた線引きが、この数年で法律の側から引き直されました。

親が子を懲戒できると定めていた民法822条は2022年の改正で削除され、代わりに置かれた821条には、子の人格を尊重し、年齢や発達の程度に配慮しなければならないこと、そして「体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない」ことが書き込まれました。

懲戒権関係の改正は、公布日である2022年12月16日に施行されています。

注目したいのは、禁じられているのが体罰だけでなく「言動」まで及んでいる点です。

手を上げなくても、言葉で子どもの心身を害すれば、それは法の想定する枠の外に出ます。

その前段として、2019年成立の改正法により、2020年4月1日から親権者らによる体罰は明確に禁止されていました。

しつけという名目が言い訳にならないことは、この時点で決着していたと言えます。

ただし誤解のないように書いておくと、法律が「怒る」と「叱る」の境界そのものを定めたのではありません。

法が問うているのは、その言動が監護・教育として許される範囲に収まっているかどうかであって、話し手の内心が怒りだったか愛情だったかではないのです。

職場では2020年から線が引かれている

「指導のつもりだった」だけでは決まらない

労働施策総合推進法、いわゆるパワハラ防止法にもとづく措置義務は、2020年6月から大企業に、2022年4月からは中小企業にも適用が広がりました。

厚生労働省は判断の要素として、優越的な関係を背景とした言動であること、業務上必要かつ相当な範囲を超えていること、就業環境が害されること、という三つを示しています。

ここでも効いてくるのは、判断が「叱った側の意図だけ」では決まらないという点です。厚労省の指針は、当該言動の目的や、それが行われた経緯・状況、業務の内容や性質、言動の態様・頻度・継続性、当事者の関係性などを総合的に考慮するとしています。

意図が完全に無視されるわけではありませんが、指導のつもりだったという一言が免罪符になる時代ではなくなりました。

かつて「怒ったのではなく叱ったのだ」で通っていた領域に、外形的な物差しが入ってきたと考えるのが正確だと思います。

それでも、この区別に意味はある

叱る側に報酬がある、という指摘

最後に、少し違う角度からの見方も紹介しておきます。

臨床心理士の村中直人氏は『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店、2022年)のなかで、叱る行為には叱る側の処罰欲求を満たしてしまう性質があり、だからこそやめられなくなると論じています。

相手のためだと信じている行為が、実は自分に報酬をもたらしている——読んでいて背筋が伸びる指摘でした。

そう考えると、「怒る」と「叱る」を区別する本当の意味は、相手を正しく導くことよりも、自分が今どちらをしているのかを立ち止まって点検するところにあるのかもしれません。

辞書はこの二語を「感情か愛情か」という線では分けていませんし、漢字の歴史も分けてはくれません。その線を引けるのは、その場にいる自分だけです。

言葉としては思っていた以上に重なり合っていると知ったうえで、それでも「これは叱るほうにしよう」と自分に言い聞かせられるなら、その区別にはちゃんと価値があると思います。

少なくとも私は、この記事を書き終えてから、人に何か言う前に一拍おくようになりました。

また、当サイトでは、100種類以上のたくさんの似て非なる言葉の特集をしています。ぜひこちらもチェックしてみてくださいね。

■この記事のまとめ

  • 辞書は両語をきちんと区別しているが、その境目は「感情か愛情か」ではなく、感情の高まりを中心に表すか、とがめる行為を中心に表すかにある
  • 『落窪物語』の用例では、腹を立てながら叱っており、両者は矛盾していなかった
  • 語としては「しかる」のほうが八百年以上も先輩で、「おこる」の成立は近世後期以降とされる
  • 「叱」が常用漢字表に入ったのは2010年で、しかも表が掲げる字体は「𠮟」のほう
  • 実際の使い分けは、向き・対象の広さ・敬語の形といった語法の面にはっきり残っている
  • 「叱咤」には「叱る」と「励ます」の両義があり、少なくとも「叱」の付く語が、怒りだけに閉じた意味領域を作っているわけではないことが分かります。
  • いま問われているのは怒ったか叱ったかではなく、その言動が監護・教育や業務として許される範囲かどうか

※法令に関する記述は2026年8月時点の内容にもとづく一般的な解説です。個別の事案については、弁護士や各自治体の相談窓口など、専門家にご確認ください。