サンタクロースのモデルは「聖ニコラウス」という昔の聖職者だ、という話を聞いたことがある人は多いと思います。
ただ、歴史をたどってみると話はそれほど単純ではなく、贈り物の日は途中で12月6日から24日の夜へ移され、入り口は窓から煙突に、受け皿は靴から靴下に変わり、赤い服のイメージもあとから固まっていきました。

しかも、その変化の多くはここ200年ほどのあいだに起きたものです。
この記事では「なぜクリスマスなのか」「キリストとの関係は」「なぜ煙突なのか」「なぜ靴下なのか」という定番の疑問に加えて、「赤い服はコカ・コーラが作ったのか」「聖ニコラウスの骨は残っているのか」、そして明治の日本に現れた「三太九郎」についても紹介します。
サンタクロースは4つの時代が重なってできた存在
今のサンタは、一人の人物の伝記ではありません。
時代も国も違う、少なくとも4つのイメージが重なってできています。
| 時代・場所 | 贈り物の日 | 入り方・受け皿 | |
|---|---|---|---|
| ①司教ニコラウス | 4世紀・今のトルコ | (贈り物の習慣はのちの時代) | ― |
| ②聖ニコラウス | 中世〜近世のヨーロッパ | 12月6日(前夜の5日) | 玄関先・靴 |
| ③サンタクロース | 19世紀のアメリカ | 12月24日の夜 | 煙突・靴下 |
| ④三太九郎 | 1900年・日本 | 12月24日 | 玄関から訪問 |

①モデルになった4世紀の司教
出発点は、4世紀に小アジア(今のトルコ)のミラという町で司教を務めたニコラウスです。
伝承では270年ごろに生まれ、343年12月6日に亡くなったとされていますが、本人が書いたものは残っておらず、同じ時代の記録もほとんどありません。
まとまった伝記が書かれたのは亡くなってから数百年後の8〜9世紀ごろなので、エピソードの多くは「伝説」として読むのが正確です。
②子どもの守り神になった聖ニコラウス
亡くなったあと、ニコラウスは奇跡を起こす聖人として広く信仰を集め、船乗りや商人、そして子どもの守護聖人とされるようになりました。
記念日は命日の12月6日で、ヨーロッパの子どもたちは前の晩に靴を出しておき、朝にお菓子が入っているのを楽しみにしていました。
この段階では、まだクリスマスとはつながっていません。
③アメリカで生まれた「サンタクロース」
「サンタクロース」という名前は、オランダ語で聖ニコラウスを指す「シンタクラース」が英語風になまったものだとされています。
オランダ系の住民が多かったニューヨークで、19世紀の作家たちがこの伝承を掘り起こし、そこに本や詩、雑誌の挿絵が次々と新しい設定を加えていきました。
空飛ぶそり、煙突、北極の工房、赤い服といった、今おなじみの要素はこの時代のアメリカでほぼそろっています。
④明治の日本の「三太九郎」
日本にも独自のサンタがいました。1900年(明治33年)の本に登場する「三太九郎(さんたくろう)」です。
詳しくは記事の後半で紹介しますが、サンタの歴史のなかでもとくに味わい深いエピソードだと思います。
サンタの疑問をまとめてみた
では、謎が多いサンタクロースについて、6つの代表的な疑問についてまとめてみたいと思います。

疑問① なぜクリスマスに来るの?――もとは12月6日でした
今も12月5〜6日に贈り物をする国がある
オランダでは、今でも子どもたちが贈り物をもらう日は12月5日の夜です。
子どもは靴を片方置いて、中にニンジンや干し草を入れておきます。これはシンタクラースが乗ってくる白い馬へのおやつで、オランダのシンタクラース伝承では、トナカイではなく馬に乗ってやってきます。
オランダのテレビ番組では、この馬は長く「アメリゴ」と呼ばれていましたが、2019年に「オゾスネル(オランダ語で「おお、なんて速い」という意味)」という新しい馬に交代しています。
日付を動かしたのは宗教改革
贈り物の日が12月24日の夜に移ったきっかけは、16世紀の宗教改革でした。
プロテスタントは聖人を信仰の対象にすることに反対したので、聖ニコラウスが贈り物を持ってくる習慣も見直しの対象になります。
とはいえ、子どもが楽しみにしている習慣をいきなりなくすのは難しいものです。
そこで宗教改革を始めたルターらは、贈り物を届けるのは聖人ではなく「幼子(おさなご)キリスト」、
ドイツ語で「クリストキント」だと教えたとされています。
贈り主がキリストなら、贈り物の日もキリストの誕生を祝う日にするのが自然なので、こうして日付がクリスマスへ移っていきました。
面白いのはその後です。英語圏にはサンタの別名として「クリス・クリングル」という呼び方がありますが、これはクリストキントの愛称「クリストキンドル」がアメリカでなまったものです。
聖人の代わりとして立てられたキリストの呼び名が、最後には聖人から生まれたサンタのあだ名になってしまったわけで、歴史の皮肉を感じずにはいられません。
そもそも12月25日はイエスの誕生日なの?
実は、聖書にはイエスが生まれた日付が書かれていません。
12月25日はあくまで「誕生を記念する日」として選ばれたもので、そう書かれた現存する最古の記録は、354年にローマで作られた暦です。
この日が選ばれた理由には、ローマの太陽神の祭りに重ねたという説と、イエスが母の胎内に宿った日(3月25日)から9か月後を数えたという説があり、今も研究者のあいだで議論が続いています。
それぞれの説の中身は、こちらの記事でくわしく解説しています。
■関連記事:クリスマスはなぜ12月25日なの?
また、クリスマスが25日ではなく24日の夜から盛り上がるのは、カトリックの典礼(教会の行事の決まり)で、日曜日や大きな祝日は前の日の夕方から祝いが始まると定められているためです。
その背景には、日没を一日の始まりとするユダヤ教の数え方があります。
■関連記事:なぜ、25日ではなくて24日に祝うの?
疑問② サンタとキリストの関係は?
サンタクロースは聖書には一度も出てきません。イエスと同一人物でもなく、聖書の上では直接の関係はないと言っていいでしょう。
ただ、歴史の上では深くつながっています。
キリスト教の聖人への信仰がなければ聖ニコラウスの習慣は生まれず、宗教改革は、聖ニコラウスの贈り物の習慣がクリスマスへ移っていくうえで大きな役割を果たしました。
ドイツ語圏の一部では、今も「クリストキント」が贈り物を届ける存在として親しまれています。
「関係ない」と言い切ってしまうと、この面白い歴史がまるごと抜け落ちてしまうのです。

疑問③ なぜ煙突から入るの?――最古の伝説では「窓」でした
もとになった「三人の娘」の伝説
よく「ニコラウスが煙突から金貨を投げ入れたから」と説明されますが、いちばん古い伝記にはそうは書かれていません。
貧しさのあまり三人の娘の結婚に必要なお金を用意できない父親がいて、ニコラウスは夜にこっそり窓から金貨の入った袋を投げ入れ、それを三晩くり返した、というのがもとの話です。この伝記には煙突も靴下も出てきません。
のちに絵画では、この金貨の袋が「三つの金の玉」として描かれるようになり、聖ニコラウスの目印になりました。
煙突を広めたのは19世紀の本と詩
煙突のイメージを広めたのは、19世紀のアメリカで出版された作品です。
1821年にニューヨークで出た子ども向けの絵本『The Children’s Friend』には、トナカイ(この時点では1頭)に引かれたサンタが、クリスマスイブに煙突の上を越えて贈り物を届ける様子がすでに描かれています。
そのイメージを決定づけたのが、1823年に新聞に匿名で載った詩「A Visit from St. Nicholas(日本では『クリスマスのまえのばん』)」です。
この詩ではサンタが煙突から降りてきて、暖炉のそばの靴下にプレゼントを入れて帰っていき、8頭のトナカイが引くそりもここで定番になりました。
鼻の赤いルドルフが生まれたのは1939年なので、この詩にはまだ登場しません。
作者はクレメント・クラーク・ムーアとされてきましたが、別の人物が書いたという説もあり、今も決着していません。
オランダでも、1850年に出た絵本で、シンタクラースが馬に乗って屋根を進み、煙突の上に姿を見せる場面が描かれました。
暖炉と煙突が家の中心だった当時の暮らしが、そのまま物語に取り込まれたのでしょう。
疑問④ なぜ靴下なの?――ヨーロッパでは「靴」が中心
靴下にプレゼントを入れるのは、主にイギリスやアメリカの習慣です。
| 地域 | 受け皿 | 日付 |
|---|---|---|
| オランダ | 靴 | 12月5日の夜 |
| ドイツ | ブーツ | 12月5日の夜〜6日 |
| ベルギーなど | 靴 | 12月6日の朝 |
| イギリス・アメリカ | 靴下 | 12月24日の夜 |
| 日本 | 枕元が多い | 12月24日の夜 |
こうして並べると、共通しているのは「靴下」ではなく「足に履くもの」だとわかります。
こうして並べると、大陸ヨーロッパでは靴、英米では靴下と形は違うものの、どちらも「足に身につけるもの」が贈り物の受け皿になっているのが興味深いところです。
日本では、枕元にプレゼントを置くスタイルも広く定着しました。

疑問⑤ 赤い服はコカ・コーラが作ったの?――作っていません
「サンタの赤い服は1931年のコカ・コーラの広告から生まれた」という話はよく知られていますが、これは正しくありません。
先ほどの1821年の絵本の挿絵で、サンタはすでに赤い服を着ています。
ちなみにこの絵本のサンタは、悪い子にはおもちゃではなく、しつけ用の鞭を置いていくという厳しい一面も持っていました。
今のサンタの姿を形づくるうえで大きな役割を果たしたのが、アメリカの風刺画家トーマス・ナストです。
1863年から雑誌『ハーパーズ・ウィークリー』にサンタの絵を描き続け、北極に住んでおもちゃ工房を持つという設定も広めました。
ただ、彼の最初のサンタは南北戦争のさなかに描かれたもので、星条旗柄の服を着て北軍の兵士を訪ねるという、戦意を高めるための絵でした。
ナストが描くサンタの出発点が、こうした南北戦争下の風刺画だったというのは、かなり意外な事実です。
では、コカ・コーラは何をしたのか。
1931年から画家ハッドン・サンドブロムが同社の広告のためにサンタを描き続け、陽気で白ひげの人間味あるサンタ像を定着させるうえで大きな役割を果たしました。
コカ・コーラ社自身も、サンタを生み出したのではなく、今のイメージづくりに大きく関わったという趣旨の説明をしています。
「作った」のではなく「定番にした」というのが正確なところです。
疑問⑥ 聖ニコラウスの骨は残っているの?
船乗りが持ち帰った遺骨
聖ニコラウスの遺骨とされるものは、今も残っています。
1087年、イタリアのバーリの船乗りたちがミラの教会から遺骨を持ち出してバーリへ運び、遺骨はその後、この町の聖ニコラ聖堂の地下に納められました。
調査でわかった「本人らしき人物像」
1953年と1957年、聖堂の修復に合わせてバーリ大学の解剖学者ルイジ・マルティーノが遺骨を調べました。
ヴェネツィアにも、1099〜1100年ごろにミラから持ち帰られたと伝わる骨片があります。
1992年にルイジ・マルティーノが調査し、バーリの骨と相補的で、同じ人物の骨格に由来すると判断しました。
2017年には、オックスフォード大学の研究チームが、アメリカの教会に保管されていた骨盤の一部を調べ、4世紀のものだという結果を出しました。
これは聖ニコラウスが亡くなったとされる時期と矛盾しません。
ただし「本人の骨だと証明された」わけではなく、「本人である可能性が否定されなかった」という段階です。
それでも、関節の痛みに苦しんでいた一人のおじいさんの姿が見えてくると、伝説の向こうに本当に人がいたのだと感じられて、この話には特別な魅力があると思います。
日本で最初のサンタの絵とされる『三太九郎』
1900年の本『さんたくろう』
日本で最初にサンタクロースの絵が載った本とされるのが、1900年(明治33年)に教文館から出た『さんたくろう』(進藤信義 著)です。
教会の日曜学校に通う子ども向けの本で、国立国会図書館デジタルコレクションで今も読むことができます。
挿絵には「北國の老爺 三太九郎」と、その隣にロバとみられる動物が描かれていて、赤い服でもトナカイでもないところに、当時の日本での手探りぶりが見えるようです。
魔法の存在ではなかった三太九郎
物語の中身も独特です。主人公の少年・峰一は、父親と一緒に雪の中で倒れていた旅人を助けます。
翌年、父が病気になって家の暮らしが苦しくなり、クリスマスに何も買えなくなったとき、以前助けた人が恩返しの贈り物を届けに来ます。
その贈り物に添えられた手紙の名前が「三太九郎」でした。
つまり、日本で最初期に本に描かれたサンタは、空を飛ぶ不思議な老人ではなく、恩を返しに来た人間だったのです。
西洋の話をそのまま持ち込まず、「恩返し」という日本人になじみのある形に置きかえているのは、かなり上手な工夫だと思います。
暖炉も煙突もない明治の家を舞台に、玄関から訪ねてくる話にしたのも自然な選択だったのでしょう。
お殿様の姿をしたサンタも
本より前に、サンタに扮した人物が日本に現れていたという話もあります。
明治7年(1874年)ごろ、東京・築地の学校で開かれたクリスマス会で、裃(かみしも)を着て刀を差した、お殿様のような格好のサンタが登場したと伝えられています。
ただし、これは何十年もあとの回想がもとになっていて、年や開催場所については資料によって記述に違いがあります。原胤昭の回想では、サンタ役は戸田忠厚だったとされています。
こうして明治のうちに、サンタはキリスト教の枠をこえて日本の子どもたちに知られていきました。
キリスト教徒が少ない日本で、なぜここまでクリスマスが定着したのかについては、こちらの記事で解説しています。
■関連記事:なぜ日本はキリスト教ではないのにクリスマスを祝うの?
ほかにもある、サンタの小さな疑問

サンタはどこに住んでいるの?
アメリカでは北極に住んでいるとされ、これはナストの絵から広まった設定です。
一方フィンランドでは、ロシアとの国境近くにあるコルヴァトゥントゥリという山に住んでいると言われています。
NORADのサンタ追跡はどう始まった?
毎年クリスマスイブにサンタの現在地を知らせる、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の「サンタ追跡」も有名です。
始まりは1955年、子どもがサンタにつながるはずの電話番号をかけ間違え、NORADの前身にあたる軍の司令部につながってしまったことでした。
よく「クリスマスイブに電話が殺到した」と語られますが、少なくとも当時の記事で確認できる最初の電話は11月30日のものです。
「サンタはいるの?」に新聞が答えた話
1897年、アメリカの新聞『ザ・サン』に、8歳の少女バージニアの「サンタクロースはいるの?」という質問に答える社説が載りました。
社説は、愛や思いやりが確かに存在するのと同じように、サンタクロースも確かに存在すると答えています。
まとめ――サンタは今も育ち続けている

4世紀の司教が聖人として信仰を集め、宗教改革をきっかけに贈り物の日がクリスマスへ移り、19世紀のアメリカで煙突や赤い服のイメージがまとまり、1931年からの広告でその姿が定番になりました。
そして明治の日本には、ロバを連れた三太九郎がやってきました。
こうして見ると、サンタクロースの正体は一人の人物ではなく、1600年以上かけて多くの人が少しずつ書き足してきた物語そのものだと言えそうです。
煙突も靴下も赤い服も、誰かが「そのほうが楽しい」と考えて付け加えたものでした。
だからこそ、枕元にプレゼントを置く日本のサンタも、ロバを連れた三太九郎も、同じようにサンタクロースなのだと思います。
■あわせて読みたい
■参考にした主な資料
- St. Nicholas Center(伝記史料・遺骨調査・図像史)
- Chronograph of 354(354年の暦)
- Steven Hijmans, “Sol Invictus, the Winter Solstice, and the Origins of Christmas”, Mouseion 47/3, 2003
- オックスフォード大学プレスリリース(2017年、骨片の放射性炭素年代測定)
- The Coca-Cola Company 公式サイト
- 国立国会図書館デジタルコレクション『さんたくろう』(進藤信義、教文館、明治33年)
- 駒沢女子大学 石川創「クリスマスにみる日本の西洋文化受容」/クラハト『クリスマス――どうやって日本に定着したか』角川書店、1999年
※歴史上の年代や人物については、資料によって説が分かれるものがあります。本記事では、確定できない部分はその旨を記しています。
