12月になって街にイルミネーションが灯りはじめると、クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日だということは、たいていの人が知っています。
ところが「じゃあ、なぜ12月25日なの?」と聞かれると、意外と答えに詰まってしまうのではないでしょうか。
先に答えを書いておくと、12月25日が選ばれた理由は、実はいまもはっきりとはわかっていません。

有力な説は大きく2つあり、ひとつは「ローマの太陽神のお祭りの日を取り入れた」という説、もうひとつは「イエスがお腹に宿った日から9か月を数えた」という説です。
日本語の解説では前者が単純な定説のように紹介されることもありますが、近年の研究では「キリスト教が太陽神の祭りをそのまま取り入れた」と言い切る説明には、強い疑問が出ています。
この記事では、その理由を古い記録からたどりながら、最後に日本の12月25日にまつわる、あまり知られていない歴史も紹介します。
聖書には、イエスの誕生日が書かれていません
イエスの誕生の場面は、新約聖書のうち「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に出てきます。
飼い葉おけに寝かされた赤ちゃんや、星に導かれてやってくる東方の博士たちのお話は、ここが出どころです。
それなのに、どちらにも日付はひと言も書かれておらず、季節さえはっきりしません。
これは書き忘れというより、初期のキリスト教徒が誕生日にあまり関心を持っていなかったためだと考えられています。
当時のローマ世界では皇帝の誕生日が公的に祝われる一方、私人の誕生日祝いもありました。
ただ、初期のキリスト教では誕生日よりも、イエスの受難と復活のほうがはるかに大きな関心を集めていました。
「誕生日ではなかった」は、少しだけ言いすぎです
よく「クリスマスは実はキリストの誕生日ではない」と言われますが、私はこの言い方を少し雑だと感じています。
聖書からイエスが実際に生まれた日を確定することはできませんが、教会は古くから12月25日をイエスの誕生を記念する日として祝ってきたからです。
日本の「建国記念の日」が、国ができた正確な日付ではないのとよく似ています。ですから「だまされていた」という話ではなく、本当の問いは「なぜ教会はこの日を選んだのか」なのです。

確実性の高い最古の証拠は「354年の年代記」です
12月25日をイエスの誕生日とする確実性の高い最古の証拠は、一般に「354年の年代記」と呼ばれるローマの暦・年代資料集にあります。
研究者リチャード・バージェスによれば、この資料集そのものは353年末に編纂されたと考えられています。
原本は失われましたが、写本で中身が伝わっていて、その中にある殉教者(信仰のために命を落とした人)の記念日リストの最初に、「12月25日、キリストがユダヤのベツレヘムで生まれる」と書かれているのです。
同じ本に収められたローマ司教の一覧の成立過程などから、12月25日の記録も330年代半ばまでさかのぼる可能性があると考えられています。
ただしこれは研究者の推定なので、「確実性の高い証拠は354年の年代記で、記録自体は330年代半ばまでさかのぼる可能性がある」と覚えておくのが正確です。
同じ本に、太陽神の誕生日も載っていました
ここからが面白いところです。この本にはキリスト教と関係のない、ローマ市民向けのカレンダーも収められていて、そちらの12月25日の欄には「不敗の者の誕生日、戦車競走30回」と記されています。
この「不敗の者」は、ローマで信仰された太陽神「ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽)」のことだと一般に考えられています。
1冊の本の別々のページに、キリストの誕生と太陽神の誕生日が、同じ12月25日として並んでいるわけです。
1700年近く前のローマで、この日付がふたつの意味を同時に背負っていたことが1冊の写本から見えてくるというのは、何度考えても少しゾクッとする話です。
説①「太陽神のお祭りを取り入れた」説は、証拠が意外と少ない
日本語の解説でおなじみなのは、「もともと12月25日は太陽神のお祭りで、キリスト教が布教のためにその日を取り入れた」という説明です。
冬至(1年で昼がいちばん短い日)を過ぎて太陽の力がよみがえりはじめる時期なので、話としてはとても納得しやすいものがあります。
ところが、太陽神の12月25日のお祭りも、確実にさかのぼれるのは先ほどの354年の本が最古です。
つまり、キリスト教と太陽神のどちらが先にこの日を使いはじめたのかは、記録の上では決められません。
「274年にアウレリアヌス帝が太陽神の祭りを12月25日に定めた」という説明もよく見かけますが、それを示す当時の記録は見つかっておらず、カナダの研究者スティーヴン・ハイマンスは、逆に異教側がキリスト教の12月25日に反応した可能性さえ、証拠上は排除できないと指摘しています。
ただし、これも推測の域を出ません。
そもそもこの「取り入れた説」は、古代から伝わってきた知識ではありません。
16〜18世紀の学者たちの議論から生まれ、19世紀末に学説として体系化された、比較的新しい考え方です。古い時代の手がかりとしては、12世紀のシリアの学者が書いた注釈書の写本に、後から余白に書き込まれた作者不明のメモがあるくらいなのです。

「ミトラ教の神の誕生日」説には、古代の証拠がありません
日本では「太陽神ミトラの誕生日だった」という説明もよく見かけますが、ミトラの誕生日が12月25日だったことを示す古代の文献は、ひとつも見つかっていません。
また、プレゼントを贈る習慣のルーツとしてよく名前が出るローマの「サトゥルナリア祭」も、12月17日から23日にかけてのお祭りで、25日とは重なっていません。
プレゼントを配るサンタクロースがどこから来た人物なのかは、サンタクロースの正体は?で詳しく紹介しています。
とはいえ、クリスマスが太陽とまったく無関係だったわけでもありません。
初期の教会はキリストを「義の太陽」とも呼んでいて、冬至の太陽というイメージが教会の人たちの頭にあった可能性は十分にあります。
問題なのは、「異教のお祭りを乗っ取った」と言い切れるほどの証拠がない、という点です。
説②「お腹に宿った日+9か月」で計算した説
もうひとつの有力な説は、日付を計算で導いたというものです。
200年ごろには、北アフリカの神学者テルトゥリアヌスが、イエスが十字架にかけられた日をローマの暦で3月25日に当たると計算していました。
そして、イエスがマリアのお腹に宿った日(受胎の日)も同じ3月25日だ、という考え方がありました。
3月25日から9か月後は、ちょうど12月25日です。
亡くなった日とお腹に宿った日が同じというのは、いまの私たちには不思議に感じられますよね。
けれども古代のユダヤ教やキリスト教の年代計算には、大切な出来事を同じ季節や日付に結びつける発想が見られます。
ユダヤ教の古い文献タルムードには、ラビ・ヨシュアの言葉として「世界は春のニサンの月に造られ、族長たちもこの月に生まれ、この月に亡くなった」という言い伝えが残っていますし、4〜5世紀の神学者アウグスティヌスも、イエスは3月25日に宿り、同じ日に受難したと信じられている、とはっきり書き残しています。

東の教会の「1月6日」も、同じ計算で説明できます
この説に説得力があるのは、ここです。
東方の一部の教会では、イエスが亡くなった日を4月6日としていました。
そこに同じように9か月を足すと1月6日になり、東方の教会は古くから、まさにその1月6日に誕生を祝ってきたのです。
答えの日付は違っても導き方の式は同じだったというのは、偶然にしてはよくできすぎていると感じませんか。
ただし、この説にも弱点があります
243年に北アフリカで書かれた文書は、計算によってイエスの誕生日を出していますが、その答えは12月25日ではなく3月28日でした。
「3世紀にはすでに12月25日が計算されていた」と紹介する解説もありますが、現存する資料からそれを確実に証明できるわけではありません。
3世紀初めの学者ヒッポリュトスの著作には12月25日と読める箇所があるものの、後世の書き足しではないかという議論が長く続いています。
こうした事情から計算説も決定打とまでは言えず、どちらの説にも決め手がないというのが、いまの研究の現在地です。
ロシアのクリスマスが1月7日なのはなぜ?
「ロシアのクリスマスは1月7日」という話を聞いたことがある人も多いでしょう。
けれどもこれは、ロシアの教会が別の日を選んだわけではありません。
ロシアやセルビア、ジョージアなどの正教会が祝っているのは昔ながらの「ユリウス暦」の12月25日で、それを私たちが使う「グレゴリオ暦」に直すと1月7日になる、というだけの話なのです。
ユリウス暦では4年に1度必ずうるう年になりますが、グレゴリオ暦では100で割り切れる年の一部を平年にします。
そのため両者の差は400年間に3日ずつ広がり、現在は13日ずれています。
そして2100年は、グレゴリオ暦ではうるう年にならないのに、ユリウス暦ではうるう年です。
このためズレは14日に広がり、2101年からは、ロシアなどのクリスマスはグレゴリオ暦の1月8日にやってきます。
「ロシアのクリスマス=1月7日」という知識には、実は使用期限がついているのです。
ちなみに、ギリシャやルーマニアの正教会は私たちと同じ12月25日に祝いますし、アルメニア使徒教会はいまも古い東方の習慣どおり1月6日に祝っています。
ひとくちにクリスマスと言っても、世界の日付は思った以上にばらばらです。
日本の12月25日には、まったく別の物語があります

日本で最初のクリスマスは1552年の山口
日本で初めてクリスマスが祝われたのは、1552年、周防国山口(いまの山口県山口市)で宣教師コスメ・デ・トーレスらが日本人の信者を招いてミサを行ったときだとされています。
ただしその日付は資料によって食い違っていて、山口市などの案内では旧暦12月9日(当時の西洋の暦で12月24日のイブ)、山口県立山口図書館の調査では12月10日(同じく12月25日)とされています。
日本最初のクリスマスがイブだったのか当日だったのか、470年以上たってもはっきりしないというのは、なんだか味わいのある話です。
もっとも、キリスト教の典礼では12月24日の夕刻・夜から降誕祭の礼拝が行われるため、イブに祝うのはけっして的外れではありません。
日本でイブのほうが本番のように盛り上がる理由も含めて、クリスマスはなぜ25日ではなく24日に祝うの?で解説しています。
明治5年には、12月25日がありませんでした
明治政府は明治5年12月3日を明治6年1月1日とする改暦を行い、それまでの旧暦をやめて西洋と同じ暦に切り替えました。
そのため明治5年の12月は2日で終わってしまい、この年には12月25日も大みそかも存在しません。
この切り替えがあったからこそ、日本でも12月25日が毎年、西洋と同じ日としてやってくるようになったのです。
1927年から1947年まで、12月25日は休日でした
この記事でいちばん伝えたいのが、この話です。1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が亡くなり、その日のうちに元号が昭和に変わりました。
当時の決まりでは、前の天皇が亡くなった日に毎年お祭りを行うことになっていて、翌1927年3月4日の勅令によって、12月25日は「大正天皇祭」という国の休日になりました。
この休日の決まりは戦後もしばらく残り、1948年7月20日に今の「国民の祝日に関する法律」が施行されるまで有効でした。
つまり12月25日が休日だったのは、1927年から1947年までの21回ということになります。
国民のほとんどがキリスト教徒ではない国で、12月25日だけは毎年きちんと休みになる。
そこへ欧米から入ってきたデパートのセールや喫茶店の文化が重なり、昭和初期のクリスマスは今の私たちが想像する以上ににぎやかだったと言われています。
休日だったことがクリスマス人気を後押しした、という見方はよく語られるものの、学術的にしっかり証明されたわけではありません。
それでも、休みという下地がなければあそこまで広まらなかったのでは、と私は考えています。
明治から戦後にかけて、クリスマスが日本の年中行事として根づいていった流れは、日本はキリスト教国ではないのに、なぜクリスマスを祝うの?にまとめました。
まとめ
- 聖書には、イエスの誕生日も季節も書かれていない
- 12月25日を誕生日とする確実性の高い最古の証拠は「354年の年代記」で、その記録自体は330年代半ばまでさかのぼる可能性がある
- 「太陽神のお祭りを取り入れた」説は有名だが古代の証拠は少なく、ミトラの誕生日説には古代の証拠がない
- 「受胎の3月25日+9か月」で計算した説も有力だが、こちらにも決定打はない
- ロシアなどの1月7日はユリウス暦の12月25日のことで、2101年からは1月8日になる
- 日本では1927年から1947年まで、12月25日が「大正天皇祭」として休日だった
調べれば調べるほど、はっきりしていることのほうが少ないと気づかされます。
それでもこの日付は1700年近く受け継がれ、宗教も暦も違う日本にまで根を下ろしました。そう思って今年のイルミネーションを眺めてみると、いつもの12月が少しだけ違って見えてくるはずです。
■クリスマスの疑問をもっと知りたい人へ
■参考にした主な資料
- Andrew McGowan「How December 25 Became Christmas」Biblical Archaeology Society
- C. Philipp E. Nothaft「The Origins of the Christmas Date: Some Recent Trends in Historical Research」Church History 81-4(2012年)
- Steven E. Hijmans「Sol Invictus, the Winter Solstice, and the Origins of Christmas」Mouseion(2003年)
- Thomas J. Talley『The Origins of the Liturgical Year』(1986年、第2版1991年)
- Richard W. Burgess「The Chronograph of 354: its Manuscripts, Contents, and History」Journal of Late Antiquity 5-2(2012年)345–396頁
- バビロニア・タルムード「ロシュ・ハシャナ」篇10b〜11a
- レファレンス協同データベース「山口では、日本で初めてクリスマスが祝われたとされるが、その記録がみたい」(山口県立山口図書館回答)
- 休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号)/国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)/明治5年太政官布告第337号
※起源をめぐる議論には決着していない点が多いため、本記事では断定を避けた箇所があります。
