「恨む」「怨む」「憾む」の違い|実は国の漢字表で「うらむ」と読めるのは1字だけでした

「うらむ」をパソコンで変換すると、恨む・怨む・憾むの3つが候補に並びます。

違いを調べてみると、たいていの解説は「怨むがいちばん強く、恨むが中くらいで、憾むが弱い」と、気持ちの強さの順番で説明しています。

ところが、同時通訳者として知られる小松達也さんは、通訳学校のコラムで「恨むがもっとも強く、憎むに近い」と書いているんです。

一方で漢字ペディア(日本漢字能力検定協会の辞典サイト)は「怨むがもっとも強い」としているので、専門家のあいだでも順位が入れかわっていることになります。

強さという物差しだけでは、どうもうまく測れないようです。

そこでこの記事では、順位づけをいったん横に置き、国の漢字表、中国の古い字書、そして日本語の「うらむ」そのものの成り立ちという3つの資料から、この言葉を見直してみます。

調べていくうちに私がいちばん面白いと感じたのは、3つの字の違いが「強さ」ではなく「気持ちがどこを向いているか」で説明できる、という点でした。

「恨む」「怨む」「憾む」は、強さの順に並べるとつまずきます

まずは結論を表で確認

先に、この記事でたどり着く整理を表にしておきます。

表記 気持ちの向き 中心の意味 例 常用漢字表の訓「うらむ」
恨む 自分の心の中に残る ひどい仕打ちや思いどおりにならない状況を、いつまでも忘れられない 冷たい態度を恨む、世の中を恨む あり
怨む 相手に向かう かたきとして憎く思う 怨みを晴らす、怨み骨髄に徹す なし(音のエン・オンだけ)
憾む 出来事や結果に向かう 残念に思う、心残りに思う 準備不足が憾まれる、憾むらくは なし(音のカンだけ)

迷ったときは「恨む」と書けばまちがいになりません。

なぜそう言い切れるのかは、次の章でお話しする漢字表の中身を見るとはっきりします。

国の漢字表で「うらむ」と読めるのは「恨」だけ

常用漢字表に書かれている3字の読み

常用漢字表は、法令や公用文、新聞などで漢字を使うときの目安として国が示している表で、字ごとに「この読み方で使う」という音と訓が決められています。

この表で3つの字を引いてみると、扱いの差は思った以上にはっきりしていました。

字 表にある読み 表にある語例
恨 コン、うらむ、うらめしい 恨む、恨めしい など
怨 エン、オン 怨恨、怨念
憾 カン 遺憾

「うらむ」という訓を持っているのは恨だけで、怨と憾は音読みしか認められていません。

つまり公用文や教科書の世界には、そもそも「恨む・怨む・憾むの書き分け」というものが存在せず、「うらむ」は恨むと書くか、ひらがなにするかの二択なんです。

辞書が「怨む」「憾む」に▽のような印をつけているのも、その読みが常用漢字表にないことを示すためです。

「憾」は「遺憾」のためだけにいるような字

表の語例をもう一度見てください。憾の欄に挙がっているのは「遺憾」のたった1語で、訓もありません。

ほぼこの熟語を書くためだけに常用漢字の席を持っている字、と言ってもよさそうです。

その遺憾は、室町時代の辞書『文明本節用集』にすでに載っている古い言葉で、江戸時代の読本『椿説弓張月』にも「遺憾ほとほとやるかたなけれど」という形で出てきます。

もとの意味は「憾(残念な気持ち)を遺(のこ)す」、つまり心残りです。

国会答弁の決まり文句として目立ちはじめたのは昭和41年(1966年)ごろだと、流行語を年ごとに追った複数の辞典が記録しています。

謝っているようで謝っていない、とよく言われる「遺憾の意」ですが、字の意味からすれば「残念です」と述べているだけなので、当たり前といえば当たり前ですよね。

2010年まで常用漢字ですらなかった「怨」

怨のほうは、もっと最近まで表の外にいました。

常用漢字表に入ったのは2010年の改定で追加された196字のひとつとしてで、それ以前の当用漢字表(1946年)にも入っていなかった字です。

表にない字だったころ、この字が日本中の目に焼きついた出来事があります。

1970年前後の水俣病の患者支援運動で、黒地に白く「怨」の一字を染め抜いた旗が掲げられました。

学校で教わらず、新聞でもふつうは使えなかった字だからこそ、あの一字には「恨」では出せない異様な重さがあったのだろうと私は思います。

2010年に追加されたあとも、認められたのはエン・オンという音読みと「怨恨」「怨念」という語例だけでした。

怨霊や怨念を漢字で書く道は開いたけれど、「怨む」という訓は今も表の外に置かれたまま、ということになります。

漢文の「恨」は、憎しみよりも心残りを表すことが多い字でした

『長恨歌』の「恨」は、憎しみではありません

ここからは、3つの字が生まれた中国の資料に目を移します。

国語の授業で習う白居易の『長恨歌』は、玄宗皇帝と楊貴妃の悲しい恋をうたった長い詩で、最後は「此の恨みは綿綿として絶ゆる期無からん」と結ばれます。

この「恨」を現代日本語の感覚で読むと、だれかへの憎しみが永遠に続くように聞こえてしまいます。

しかし詩の中身は、愛する人と死に別れた悲しみと心残りがいつまでも尽きない、というものです。

漢文の「恨」は、満たされなかった思いが胸に残りつづけるという、内側に向いた気持ちを指す字でした。

ほかの古典を見ても、この傾向は変わりません。

司馬遷の『史記』の蕭相国世家には「臣死すとも恨みず」(私は死んでも心残りはありません)という言葉があり、陶淵明の『帰去来の辞』には、夜明けの光がまだ薄いのを「恨む」、つまりもどかしく残念に思うという一節があります。

最古の字書『説文解字』をのぞいてみる

後漢の時代、西暦100年ごろに作られた『説文解字』は、漢字の成り立ちを体系的に説明した最古の字書です。

ここで2つの字を引くと、恨は「怨なり」、怨は「恚(いか)るなり」と説明されています。

さらに恚を引くと「恨なり」と書いてあって、3つの字がぐるりと輪になって互いを説明し合っているんです。

字書の上では、恨と怨はほとんど同じ意味の字として扱われていたことになります。

ただ、怨の説明にだけ「怒る」という字が選ばれている点は見逃せません。

『長恨歌』のように恨が心残りを表す例と重ねてみると、2つの字がそれぞれ違う色合いを帯びていった様子が透けて見えるようで、私はここがいちばん面白いところだと感じました。

孔子の言葉を集めた『論語』にも、この使い分けがよく表れた場面があります。

「ひどいことをされた相手に、恩で返すのはどうでしょう」と聞かれた孔子は、「直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」と答えました。

うらみにはまっすぐな公正さで応じなさい、という意味で、ここで人から受けた仕打ちへの感情を表しているのは、やはり怨の字です。

「憾」は『説文解字』に載っていない新顔

では憾はどうかというと、『説文解字』には見出しとして載っていません。

後世の注釈は「許慎(説文の著者)の書には感はあるが憾はない」と指摘していて、古くは「感」の字で残念な気持ちも書き表していたと考えられています。

心を動かされるという意味の感に、もう1つ「心」を足した形をしているのが憾です。残念さを書くための字としてあとから分かれていったのではないか、と想像したくなりますよね。

用例を見ても、憾はおだやかな字です。『論語』では弟子の子路が、自分の馬車や上等な毛皮を友だちと共有して、ぼろぼろにされても「憾み無からん」と語っています。

ここでの憾は「惜しいと思わない」「心残りはない」という程度の意味で、だれかを憎む気配はまったくありません。

日本語に入って起きた「ずれ」

ここまでを並べると、漢文では怨が相手への怒り、恨が胸に残る心残り、憾が残念さを表す場面が目立ちました。

もちろん恨が怨みに近い意味で使われる例もあるので、きっちり三等分されていたわけではありません。

それでも現代の日本語とくらべると、重心の置き場所ははっきり違っています。

今の「恨む」は相手を憎く思う意味の代表になり、心残りの意味は「遺憾」や「憾む」のほうへ追いやられているからです。

『長恨歌』の題名を「長い憎しみの歌」と受けとってしまう人が多いのは、読む側の不注意ではなく、字の意味が日本語の中で少しずつ場所を移した結果なんです。

恨が常用漢字表でただ1人の「うらむ」担当になり、怨の仕事まで引き受けたことも、このずれを後押ししたのではないかと私は考えています。

そもそも「うらむ」は「心を見る」という言葉でした

語源には「うら(心)」+「見る」という説があります

漢字はあとから当てたものなので、最後に日本語の「うらむ」そのものを見ておきます。

『岩波古語辞典』や『大言海』は、この言葉の語源を「うら(心の中)」を「見る」こととしています。

「うら」は表(おもて)に対する裏で、顔に出ない内側の気持ちを指す古い言葉です。

「うら悲しい」「うらやむ」の「うら」も同じものだと説明されています。

『岩波古語辞典』は意味についても踏みこんでいて、相手の仕打ちに不満を持ちながら、表立ってやり返すことができず、相手の本心を見つめつづける気持ちだと解説しています。

殴り返すのでも言い返すのでもなく、じっと相手の心の奥をうかがいつづける。

「うらむ」という言葉の湿り気は、すでに語源の段階で決まっていたように思えて、私はここを読んだとき、ぞっとしました。

昔は「恨まない」ではなく「恨みず」でした

語源が「見る」だとすると、活用にもその名残があるはずです。

実際、『岩波古語辞典』は、奈良時代の「うらむ」は「見る」と同じ上一段活用で、平安時代になって上二段活用に変わったという見方をとっています。

さらに辞書の補説には、中世までは上二段活用で、近世(江戸時代)に入って今と同じ四段活用に転じたと書かれています。

上二段活用だと、打ち消しの形は「恨まず」ではなく「恨みず」になります。

古文の授業で「恨みず」や「恨むる」という形に出会って首をかしげた人は、活用の種類が今と違っていたと知っておくだけで、ぐっと読みやすくなるはずです。

『史記』の「臣死不恨矣」を「恨みず」と訓読するのも、この古い活用にしたがっているからなんですね。

古語の「うらむ」には「仕返しをする」意味もあった

古語辞典を引くと、「うらむ」には今は消えてしまった意味も載っています。

1つは「ぐちを言う、不満を口に出す」で、『古今和歌集』の歌に例があります。

もう1つは「無念を晴らす、仕返しをする」で、こちらは『平家物語』に用例があります。

心の中で相手を見つめるところから始まり、口に出し、ついには行動に移すところまで、昔の「うらむ」は1語でカバーしていました。

現代語では行動の部分が「恨みを晴らす」という別の言い方に分かれ、「うらむ」本体には心の中の部分だけが残ったことになります。

迷ったときの書き分け方

ふだんの文章は「恨む」で十分です

ここまでの話をふまえて、実際に書くときの考え方をまとめます。

学校の作文、仕事の文書、ブログなど、ふつうの文章では「恨む」だけを使えば困りません。

常用漢字表で訓が認められているのはこの字だけですし、辞書も恨むを、相手への憎しみにも状況への不満にも使える広い表記として扱っているからです。

あえて「怨む」「憾む」を選ぶなら

小説や歌詞、エッセイのように表記で気持ちを描き分けたい場面では、残りの2字が生きてきます。

使いどころは次のように考えると、強さの順位で悩まずにすみます。

  • 怨む:特定の相手をかたきとして憎み、仕返しまで思い描いているような場面に合います。「怨霊」「怨念」という熟語の重さを、そのまま文に持ちこめる字です。
  • 憾む:相手がいない、または相手を責める気がない場面に合います。自分の力不足や運の悪さ、惜しい結果などを「残念だ」と振り返るときの字で、「憾むらくは(残念なことには)」という古風な言い回しでよく見かけます。

「憾みが残る」と「恨みが残る」は、読みは同じでも意味が大きく変わるので注意が必要です。前者は「デザイン面に憾みが残る」のように欠点や物足りなさが残ること、後者は人間関係にしこりが残ることを指します。

常用漢字表にしたがう文章では前者も「恨み」かひらがなで書くことになるため、誤解されそうなときは「惜しい点が残る」などと言いかえてしまうのも1つの手です。

まとめ:3つの字は「どこを見ているか」が違います

怨むは憎しみを向ける先を、恨むは自分の胸の内を、憾むは起きてしまった出来事を見ています。

『論語』に「天を怨みず」という言葉があるように、怨の向かう先は人とはかぎらず、3つの字の意味がきれいに切り分けられるわけでもありません。

それでも、強い・弱いの順位で考えるより、どこを見ているかで考えたほうが、違いはずっとつかみやすくなります。

そして、国の漢字表が「うらむ」と読ませているのは恨の1字だけでした。

漢文では心残りを表すことの多かったこの字が、日本語では3字分の仕事を1人で背負うことになり、そのあおりで『長恨歌』の題名まで誤解されやすくなったわけです。

もとをたどれば「相手の心を見つめる」ことだったともいわれる和語に、中国生まれの3つの字がそれぞれ別の角度から光を当ててきた歴史を知ると、変換候補に並ぶ3文字が少し違って見えてきます。

■主な確認資料

– 文化庁「常用漢字表の音訓索引」
– 小松達也「訳せそうで訳せない日本語 第10回 うらむ」(サイマル・アカデミー)
– 漢字ペディア「うらむ」同訓異義
– デジタル大辞泉「うらむ」
– 精選版 日本国語大辞典「遺憾」
– 国立国会図書館 レファレンス協同データベース(「誠に遺憾である」の使用時期)
– 『説文解字』心部(恨・怨・恚の項)