ハッピーマンデーで消えた4つの日付|1月15日・7月20日・9月15日・10月10日の意味

三連休が当たり前になって、もう20年以上が経ちました。

成人の日は1月の第2月曜日、海の日は7月の第3月曜日、敬老の日は9月の第3月曜日、スポーツの日は10月の第2月曜日です。

毎年カレンダーを見ないと日付がわからない、というのが今では普通の感覚だと思います。

けれど、この4つにはもともと決まった日付がありました。

祝日 もとの日付 現在 移動が始まった年
成人の日 1月15日 1月第2月曜日 2000年
海の日 7月20日 7月第3月曜日 2003年
敬老の日 9月15日 9月第3月曜日 2003年
体育の日(現・スポーツの日) 10月10日 10月第2月曜日 2000年

ハッピーマンデー制度とは、国民の祝日の一部を固定日から月曜日へ移し、土日と合わせた3連休を増やす仕組みです。

2000年から成人の日・体育の日、2003年から海の日・敬老の日に導入されました。

この4つの日付には、それぞれきちんとした理由がありました。調べていくうちに、私はひとつのことに気づきます。

4つのうち1つだけが、日付を奪われる代わりに別の法律へ移し替えられて生き延びています。

残りの3つには、その措置がありません。

今回はその話をします。

まず、法律に「ハッピーマンデー」という言葉は一度も出てきません

意外に思われるかもしれませんが、「ハッピーマンデー制度」は法律用語ではありません。

制度の実体は祝日法の2回の改正で、正式名称は平成10年法律第141号平成13年法律第59号です。

条文をいくら読んでも、ハッピーマンデーという言葉は出てきません。

和製英語の通称が、そのまま制度名として定着してしまったわけです。

最初の改正で2000年から成人の日と体育の日が月曜日になり、2回目の改正で2003年から海の日と敬老の日が続きました。

ゆとりある生活、余暇活動の拡大、交通混雑の緩和といったものが期待されていたとされます。

少なくとも、三連休を増やすという制度上の目的そのものは達成されました。

問題は、そのときに何が引き換えに差し出されたのか、という点です。

ハッピーマンデーで消えた4つの日付

1月15日 ── 元服の名残でした

成人の日が1月15日だったのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたからだと言われています。

1948年の祝日法制定時から1999年まで、半世紀にわたって動かない日付でした。

大人になることを祝う日を、大人になる儀式が行われていた日に置く。理屈としてはきれいに通っています。

それが2000年に1月第2月曜日へ移りました。

なお、成人式の日程はもともと自治体によって一様ではありません。

豪雪地帯では冬を避けてゴールデンウィークやお盆に開く地域があり、都市部へ進学・就職した新成人が参加しやすいよう前日の日曜に行う自治体もあります。

「成人の日=成人式の日」とは限らない状態が、いまも続いています。

10月10日 ── 「晴れの特異日だから」という説明は、そう単純ではありません

ここが今回いちばんアツかった部分です。

体育の日が10月10日だったのは、1964年の東京オリンピック開会式の日を記念したものでした。

では、なぜ開会式が10月10日だったのでしょうか。

ほぼすべての記事が「10月10日は晴れの特異日だから」と説明しています。

実際に、そう証言している大会関係者もいるようです。

ところが気象庁の天気相談所は、特異日という考え方そのものについて「科学的には認められていません」と述べています。

「かなり昔からある、誰が言いだしたとも言えない俗説的なもの」で、位置づけとしてはことわざに近いのだそうです。

つまり、科学的な裏づけを持たない経験則が、国家的行事の日取りを決める材料のひとつになった可能性がある、ということになります。

しかも、前日まで台風の影響で雨だったのに、開会式の空は抜けるような秋晴れでした。

この一度きりの成功体験が、特異日という説明をあとから強く裏書きしてしまった面もあるのだろうと思います。

少なくとも、「晴れの特異日だから10月10日が選ばれ、だから体育の日になった」と一行で片づけるのは、正確ではなさそうです。

体育の日が10月10日になった直接の理由は開会式の日だったことであり、その開会式がなぜ10月10日だったのかは、もう少し込み入った話です。

なお体育の日は2020年に「スポーツの日」へ改称されましたので、日付を失い、名前も変わったことになります。

7月20日 ── 明治丸が横浜に着いた日でした

海の日の由来は、4つのなかで最も具体的です。

1876年、明治天皇が東北地方を巡幸した際、灯台視察船「明治丸」で航海し、7月20日に横浜港へ帰着しました。

この日を記念して、1941年、当時の逓信大臣・村田省蔵の提唱を受けて「海の記念日」が定められます。

国民の祝日になったのは1995年の法改正で、施行は1996年。

祝日としての歴史は、まだ30年ほどしかありません。それが2003年には第3月曜日へ移されました。祝日になってから7年で日付を失ったことになります。

ちなみに明治丸は現在も東京海洋大学に現存し、国の重要文化財に指定されています。

日付は動きましたが、船のほうは残っているわけです。

9月15日 ── 提唱者が存命のうちに動かされました

敬老の日の起源は、1947年にさかのぼります。

兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)の村長だった門脇政夫が、55歳以上の住民を招いて敬老会を開いたのが始まりでした。

当時35歳で村長に当選したばかりです。

9月15日を選んだのは、農閑期にあたり気候もよい時期だったことなどが理由とされています。

翌1948年の第2回敬老会で、門脇は9月15日を「としよりの日」として村独自の祝日にすることを提唱しました。

それが1950年に兵庫県の行事となり、1951年に全国へ広がり、1966年には「敬老の日」として国民の祝日になります。

ひとりの村長が始めた催しが、20年足らずで国の祝日にまで届いたわけです。

その日付が2001年の改正で動かされたとき、門脇政夫はまだ存命でした。

1911年生まれで、亡くなったのは2010年です。

日付の変更に遺憾の意を表明したと伝えられており、全国老人クラブ連合会も反対を表明しています。

自分が決めた日付が、自分が生きているうちに国会で動かされる。

この一点だけでも、9月15日は他の3つとは事情が違いました。

そして、9月15日だけが別の法律に移されました

さて、ここからが本題です。

敬老の日を動かした2001年の改正法には、少し変わった正式名称がついています。

「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」

祝日法を改正するだけなら、老人福祉法まで一緒に触る必要はないはずですが、中身を見ると理由がわかります。

この改正で、9月15日は老人福祉法上の「老人の日」として、9月15日から21日までは「老人週間」として法定されました

祝日から日付を取り上げる代わりに、その日付を別の法律に埋め込んで残したのです。

しかも適用は2002年からです。

敬老の日が第3月曜へ移ったのは、その翌年の2003年でした。

受け皿を先につくり、翌年に祝日を動かしています。

この順番は偶然ではありません。

9月15日という日付が長年の行事を通じて社会に深く定着していたこと、そして変更への反対の声があったこと。

その両方を踏まえると、この措置が取られた経緯も見えてくるように思います。

1月15日にも、7月20日にも、10月10日にも、同じ扱いはありませんでした。

4つのうち3つは、たまに帰ってきます。1つだけは帰れません

もうひとつ、カレンダーを計算していて気づいたことがあります。

第3月曜日は、その月の15日から21日のあいだに必ず来ます。

ということは、海の日が7月20日になる年も、敬老の日が9月15日になる年もあるわけです。

第2月曜日なら8日から14日ですから、スポーツの日が10月10日になる年も存在します。

実際に並べるとこうなります。

祝日 もとの日付 直近で一致した年 次に一致する年
海の日 7月20日 2026年 2037年
敬老の日 9月15日 2025年 2031年
スポーツの日 10月10日 2022年 2033年
成人の日 1月15日 ── 来ません

海の日は、まさに今年の7月20日がそうでしたが、気づかずに過ごした方も多いのではないでしょうか。

そして成人の日です。

1月の第2月曜日は、どうやっても8日から14日にしかなりません。現行制度が続くかぎり、1月15日が成人の日になることはありません。

元服の日に成人を祝うという建てつけは、制度の上では完全に断ち切られました。

4つのうち最も古い由来を持っていたものが、最も帰る目のない場所に置かれています。

ここを計算で確かめたときは、正直しばらく手が止まりました。

動かされなかった祝日との違いは、どこにあったのか

2007年5月、当時の自公連立政権が「秋の大型連休」構想を検討したことがあります。

景気対策として、体育の日と勤労感謝の日を文化の日(11月3日)の前後へ移し、土日や振替休日、国民の休日と組み合わせて5連休以上をつくるという案でした。

これは実現しませんでした。自民党内からも「祝日の本来の意味が失われる」という反対論も出て、構想は具体化しないまま終わっています。

読んでいて引っかかったのはここです。

このとき動かされそうになった体育の日は、その7年前に、すでに10月10日という日付を奪われていました

同じ祝日から日付を取り上げるとき、2000年には通った理屈が、2007年には通らなかったことになります。

勤労感謝の日が新嘗祭にあたる日であることを考えると、線引きは意味の有無というより、その意味を守ろうとする声の大きさのほうにあったのかもしれません。

興味深いのは、2016年に始まった山の日も、ハッピーマンデー方式ではなく8月11日固定で設けられたことです。

新しい祝日をつくるときには、もう月曜に置くという選択肢が採られませんでした。

副作用は、思わぬところにも出ました

三連休が増えて困る人はあまりいないはずですが、実務の現場では調整が必要になりました。

よく知られているのは大学です。

月曜の祝日が年に4回もあると月曜日の授業回数が足りなくなり、他の曜日を月曜扱いにしたり、祝日に授業を行ったりして帳尻を合わせる大学が出てきました。

そしてもうひとつ、当初は想定されていなかったであろう副作用があります。

敬老の日が動くようになった結果、年によっては秋分の日との間隔がちょうど1日になり、あいだの平日が「国民の休日」として休みになるようになりました。

2009年に初めて発生した5連休、いわゆるシルバーウィークです。三連休を増やすための制度が、秋分の日との組み合わせによって5連休まで生むことになりました。

(この仕組みについては「2026年9月22日は、なぜ祝日でもないのに休みなのか」で詳しく書いています。)

2020年と2021年、祝日はさらに動きました

最後にひとつ、後日談を。

東京オリンピックに合わせた特例で、海の日は2020年に7月23日、2021年に7月22日へ移されました。スポーツの日も2020年は7月24日、2021年は7月23日です。

特定の年だけ、祝日が2か月近くジャンプしたわけです。

2021年は決定が遅く、移動が反映されないまま販売されたカレンダーも出回りました。

ハッピーマンデーが開けたのは、三連休の扉だけではありませんでした。

祝日の日付は動かしてよい、という前提そのものが、この20年余りで定着したのだと思います。

1月15日、7月20日、9月15日、10月10日。この4つの数字を見て、それぞれ何の日だったか言える人は、もうそれほど多くないでしょう。

制度が奪ったのは日付であって意味ではない、という言い方もできます。

ただ、日付を失った意味がその後どうなるかは、この20年が実例として示しているように思います。

次にカレンダーで三連休を見つけたら、その祝日がもともと何日だったのかを、一度だけ思い出してみてください。

■主な参考資料

  • 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)/平成10年法律第141号/平成13年法律第59号
  • 老人福祉法(老人の日・老人週間)
  • 内閣府「国民の祝日について」「老人の日・老人週間キャンペーン」
  • 気象庁天気相談所への取材記事(特異日の扱いについて)
  • 兵庫県多可町の敬老の日発祥に関する資料